ジュエリー作家「川添微」インタビュー

2026年10月28日(水)〜11月3日(火・祝)の期間、MIN GALLERYで開催されるジュエリー作家・川添微による個展「Honoka Kawazoe Solo Exhibition」。

その個展を前に、MIN GALLERYではジュエリー作家・川添微さんへのインタビューが敢行されましたので、JEWELRY JOURNALでも、ご紹介いたします。


自分の美学をもう一度見つめ直す
エメラルド原石ジュエリー

世界を旅した後、20代のはじめからはエメラルドのバイヤーとして毎月のように南米コロンビアの採掘地に通い、幾多の石と向き合ってきた川添さん。一口にジュエリー作家といっても、エメラルドの原石のみを用いて作品を作ること、採掘場の石を選ぶところから携わること、デザイン画も鋳造の型も使わず石1点ずつに合わせて金を叩いたり溶かしたりして台座を作ること……など、川添さんの制作スタイルは非常に個性的。そして手間のかかる作業です。制作や暮らしの舞台がバリ島・ウブドであるというのもまた、作風に影響しているともいえるでしょう。

多くの多彩な宝石の中からたった一種類、エメラルドが放つ妖しく情熱的な緑色の魔法に魅入られてしまった川添さん。過去と現在、そして未来地図についてお聞きすべく、ウブドを訪ねました。

エメラルド原石を包み込むように金をあしらったリング。石にカッティングを施していなくてもこんなに強い存在感を持つものかと、見る人を一瞬にして魅了する。

燃える炎を心に宿したその人の名は「ほのか」

ジュエリー作家、川添微さんに実際にお会いする前、私の頭の中にはなぜか勝手に「微(ほのか)さん像」が出来上がっていました。彼女の作品をあまり目にしたことがなかったのも、想像があらぬ方向に向かった一因です。「ほのか」という響きから、ふんわりとして言葉少なく神秘的……と、なぜかそんな人物像をイメージしていたのです。もう25年住んでいるというバリ島ウブドから一時帰国した川添さんに挨拶するため、東京・青山のカフェで待ち合わせた日、そこに現れたのは原石のような強いオーラを身にまとった女性でした。緑色に燃える静かな炎のようで、久々の東京について楽しげに語る川添さんは、すでに取材の前から、世界や人生に対してのとめどない好奇心と愛情を発信しているかのようでした。

川添さんの手から生み出されるジュエリーは、ほぼすべてがエメラルドを主体にしたものです。しかも数千万年という時間をかけて結晶したエメラルド原石そのままの形を生かして仕上げるのが特徴。デザイン画は描かず、石の台座の金を作るための型もありません。ではどうやって作るかといえば、一つ一つの石に向き合い輝きや形を眺め、やがて見定めた“最も美しい顔”を生かすべく、金を叩いたり溶かしたりして原石に沿わせるように台座を成形します。ネックレスやブレスレット、リングにブローチと作品は多彩で、川添さんのインスタグラムをのぞけば、不思議な生命体を思わせるものばかり。千差万別で一つ一つ表情が異なり、私が抱いていた「エメラルドジュエリー」のイメージとはかけ離れているのでした。

ウブドのアトリエで制作中の川添さん。机に向かうのは早朝で、静かで研ぎ澄まされた時間にエメラルドと語り合うのが日課だという。

エメラルドに一目惚れするまでの紆余曲折

今回、やはりどうしても制作の現場を拝見してお話を伺いたいと、彼女が暮らすバリ島ウブドを訪ねました。ングラ・ライ国際空港に到着後、ガタゴトと車に揺られておよそ1時間半。有名なリゾートホテルの門や寺院をやり過ごしつつ着いたのは、畑や伝統的な住宅が広がるのどかで自然豊かな場所でした。

「ウブドにようこそ!」。迎えてくれた川添さんは、東京でお会いした時よりもさらにリラックスした様子で、アトリエでの制作現場や美しいご自宅を案内してくれます。多幸感、そして生命力を感じさせるこの場所で、あのジュエリーたちが生み出されているのかと思うと、妙に納得を覚えます。

「バリ島に暮らして20年以上経ちます。その前は5、6年ほどニューヨーク住まいだったのですが、今となってはなんだか信じられませんね。刺激的で楽しかったのですが、やはりウブドが肌に合いすぎたというか」(川添さん)

アトリエのデスクの上には平たい箱が大小たくさん積まれていて、その中にエメラルド原石が。色も形も大きさもインクルージョン(内包物)も一つ一つ違っていて、こうやって眺めるとまさに圧巻。

世界の石に触れた後にエメラルドと出会う

川添さんの独特の世界観を形成したものとして、やはり幼少期から大人になるまでの話は外せません。高校時代までを香川県高松で過ごした川添さん。発明家の父親とアーティストの母親には川添さんと姉の姉妹を大自然の中で育てたいという思いがあって、無人島で家族キャンプするような幼少期を過ごしたのだそう。高校時代はサラブレッドの美しさに魅了され、馬術で国体に出場。馬への思いから日本獣医大学に進学しますが大学2年生の時に獣医としての未来と自分の理想の乖離に気づき、潔く退学してしまいます。

「1990年頃です。若かったものですから、バックパッカーの旅に出ました。子供の時から石が好きだった私は、行く先々で石の加工に関わる仕事をしていたんです。オニキス、ラピスラズリ、水晶など、いろんな石に触れましたね。実はバリ島もその時に訪れていますが、他にもいろんな場所を巡りました。ワーキングホリデーを利用してオーストラリアに住んでいた時には、オパールの採掘や研磨もしていたんですよ」(川添さん)

やがて、「石の仕事は向いているかもしれない」と思った川添さんは、一念発起して帰国。東京御徒町にあるエメラルド原石の輸入会社に創業メンバーの一人として入社します。まだ20代前半という若さでした。

工房で行う作業は多岐にわたる。写真は、エメラルド原石を研磨しているところ。研磨といっても全面にカッティングするのではなくあくまでも整える程度で、石の持つ本来の魅力が損なわれないように細心の注意を持って作業するという。

エメラルドと生きることに決めた

入社後、川添さんの生活は激変しました。社内最年少のエメラルドバイヤーとして新人扱いで通ったのは最初だけで、すぐに実際にコロンビアの採掘現場に出張し、現地で相手先のディーラーと丁々発止の駆け引きをして原石を仕入れて日本に持ち帰る……という仕事が毎月のように続きました。

「扱う物が超高額のエメラルドですから、出張中はずっと緊張しっぱなしです。何千万という値がつく原石もありますし。その会社には何人かのバイヤーがいましたが、みなさん続かなかったですね。私は、若かったとはいえ女性ですから、原石を見た瞬間に本能的になんとなく感じるものがありました。『この石、いい!欲しい!』というような直感です。男性の場合は、余計な内包物は混じっていないか、色はどうか、傷は……という具合で、そそられるかどうかという部分では判断なさらないというか。ただ、結局その頃からすでに私はエメラルドに完全に魅了されていたんだと思いますね」(川添さん)

本人も認める通り、この時の川添さんの頭の中にはもう「エメラルドと共に生きる」という決心が出来上がっていました。そして徐々に思いは別の方向へと変化していきました。「なぜ、こんなに美しいエメラルドの原石を研磨して同様のサイズやカッティングにする必要があるのだろう」という疑問が生じるようになったのです。

エメラルド原石の良さを最大限活かすため、作品は一点ものが多いばかりでなく、ピアスやイヤリングも片耳用がメイン。ただ、形の異なるものを好きに組み合わせてもすんなりと身に馴染むのもまた、原石同士だからなせる技。

石を選ぶのではなく、石に選ばれている

「コロンビアの採掘現場では、岩盤を爆破した後にその洞窟に入り、木槌を使ってエメラルド原石を掘り出すんです。ぼうっと発光するかのように輝く石の美しさといったら! 何千万年もかけて結晶し、六角柱の形で出てくるんです。それも他の鉱物に抱かれるような姿で。自分で選んだ石は、日本のジュエラーに卸した後、研磨されて“商品”になってもやはりわかります。あ、あの時の石だ、って。また会えた、って」(川添さん)

その出会いが、だんだん切ないものに変わっていったのだといいます。一つ一つ個性を持っていた石が、同じサイズやカットを施されて、似た表情の“商品”になっていく。もちろん、その美しさも本物には違いありませんが、それでも川添さんには元の個性が偲ばれてしまうのでした。意を決して懇意のジュエラーに「原石を使ったジュエリーを作らないか?」と持ちかけてみても、結局は石の形やサイズをある程度揃えないと、台座の金属をすべてオーダーメイドで作らなくてはならなくなり、効率的ではないと断られる日々。やがて川添さんの心は「自分で作ろう」という思いに帰着します。

「石を選ぶ仕事をしていたのですが、やがてそこに違和感を感じた。エメラルドの原石は、きっと人間を選んでいるんじゃないかと思うようになりました。地球に残されているエメラルドの数には限りがあるということもあり、私は自分の手で一つ一つの石の個性を残す仕事がしたいと思うようになったんです」(川添さん)

川添さんのアトリエには、エメラルドとは関係のない雑多で不思議なものが山ほど並んでいる。子供の頃に拾った石から旅先で手に入れたお守りまで、それぞれに関連性も繋がりもないようでいて、「HONOKAの眼」という一つの線でまとまっている。

ジュエリー作家としての人生と家族との暮らし

かつて海外を巡っていた時代にもジュエリーを作っていた時期はあったものの、この時の川添さんの決心は遥かに重いものでした。ジュエリーデザイナーとして独立するため、「GIA(Gemological Institute of America)」ニューヨーク校に学び米国宝石学会認定 宝石鑑定士(GIA G.G.)を取得。がむしゃらに学び、ニューヨークを拠点に活動を続けます。その途中の2002年、故郷高松のギャラリーで開催した初の個展では、イヤリング、ネックレス、リング、ブローチと数十点出したのですが、リングに至っては3日で完売。「エメラルド原石を用いたジュエリーが珍しかったのでしょうか、ありがたいことです」と語る川添さん。その後も順調に作品を世に出す機会は増えていきました。

ようやく作家として石に向き合うようになった川添さんですが、この頃、ニューヨーク暮らしにピリオドを打ちバリ島に移住することを決めました。

「アメリカ人の夫と結婚し、出産しました。それまでの私は自分の人生とエメラルドに明け暮れて充実していたので、正直な話、いつ死んでもいいとさえ思っていたんです。ところが自分の分身を生み出してしまったらもう、この子が幸せじゃないと私は幸せになれない、となって。人間って変わるものですね。でも、制作に入ったら没頭して何もかも忘れてしまう性格は変わりませんから、忙しないニューヨークのような町では、なんというか、何もかもがバラバラになってしまう怖さを感じるようになりました」(川添さん)

家族が第一。でも、制作をしていないと自分自身ではなくなってしまう。そんな思いから、たびたび訪れ、母親が先に住み始めていたバリ島ウブドに移住するという話が現実味を帯びていきました。

天性の朗らかなキャラクターに加え、審美眼が鋭い川添さん。長いウブド暮らしでは現地にも多くの友人が生まれた。アートディーラーだったクラウディアさんの家に立ち寄り、おしゃべりに花を咲かせる。クラウディアさんの家も川添さんの家と同様、窓がなく開放的かつ伝統的な佇まい。

ウブドだから叶えられた幸せの形

今回の取材で初めて足を踏み入れたバリ島ウブド。癒やしと大自然に恵まれた隠れ家リゾートというイメージしかなかったのですが、住むとなるとどんな感じなのか、想像もつきません。私たち取材班とは日本語で話し、家族とは英語で冗談を言い合い、インドネシア人のハウスキーパーや作業職人たちとは気さくに現地の言葉で語り合う川添さんは、スーパーマンのようです。

「苦労されました?と聞かれることもありますが、ここはまさに天国です。何よりも、インドネシアの方々の優しさが素晴らしい。子供には皆が優しく、そのおかげで移住後は子育てに苦労せずに済みました。私にとってもう一つ、とてもありがたいのは、この国の職人たちの手先の器用さです。バリ島は古い文化が残るエリアで、村ごとに専門職があるんです。木材彫刻に長けた村とか、銀細工の村とか、そんな具合で。私が作るジュエリーは、台座を作るのに型を使いません。一つ一つの原石に合わせて台座の金を加工するのですが、手伝ってくださるインドネシア人職人たちの腕の良さに助けられています」(川添さん)

広大な川添さんの家のリビングの一角。ここで風に吹かれながら、星空を眺めながら、ワイン片手に時間を過ごすのが楽しみ。
長年務めてくれる料理人一家は、川添さんにはなくてはならない家族のような存在。この日も伝統的なバリ料理でもてなしてくれた。

エメラルドのメッセージが突如降りてくる

「恵まれています」という川添さんですが、ずっと話を伺っていると、やはりこの方は幸運や縁、インスピレーションや応援してくれる味方を自身の力で引き寄せているような気がします。天性の明るさとパワーで周りを照らしつつ、その奥にいるアーティストとしての川添さんはずっとエメラルドと向き合ったまま。二面生を敢えて持ち続ける人なのだと感じます。

「ずっとエメラルドと関わっていて飽きないんですかと聞かれることがありますが、逆になぜ?って思います。だって、石は私に語りかけてくるし、それに応えるようにしているといくらでも見えるものがあります。どんなふうにデザインを思いつくかというと、考えて生まれるというものではないですね。人と会話している時や一人で何かをしている時、突然バーンと形になって閃くというか、そんな感じです。ただ、それまでもずっと静かに心の中でうごめいているんですよ、アイデアが」(川添さん)

アトリエで、何百個ものエメラルド原石に指先で触れながら、話をしてくれた川添さん。一つ一つの石は色も形も大きさも何もかもが違います。内包物や傷も、美しさの一つ。「割れることはないですか?」と聞いたら、笑いながら答えてくれました。

「たまにはね。でも私の手元にいるときに割れてくれるなら、それでもいいと思います。だって、ジュエリーになってから割れたら身に着ける方は困ってしまいますものね。もし割れるようなことがあったら、無償で修繕します。結局、私にとってはジュエリーもすべて子どものようなものだと思っているんです」(川添さん)

川添微/HONOKA KAWAZOE
1971年兵庫県生まれ、香川県高松で育つ。幼少期から石に魅了される。高校時代に馬術で国体に出場し、卒業後は日本獣医大学に入学するも更なる可能性を求めて退学。世界中を旅する。20代前半で帰国し、東京・御徒町にあったエメラルド原石の輸入会社に入社。ジュエリーバイヤーとして頻繁に南米・コロンビアに出向き採掘や研磨、加工にも携わる。退職後はニューヨークのGIAに学び宝石鑑定士資格を取得。ジュエリー作家として2004年までニューヨークで過ごし、以降はバリ島に家族と共に移住。国内外で多くの展覧会を開催。

text by Mayuko Yamaguchi
photo by Yumiko Miyahama

2026.10 MIN GALLERYより転記