bororo(ボロロ) デザイナー赤地明子 ロングインタビュー -前編

bororoが生み出すジュエリーには、どこか“土地の記憶”のようなものが宿っている。

世界各地の鉱山や産地を実際に巡り、自らの目で天然石を選び、その石が持つ個性や景色を一点もののジュエリーとして丁寧に掬い上げていくbororo。石そのものが放つ静かな存在感を生かしたジュエリーは、多くの石好きやジュエリー愛好家を魅了し続けています。

今回、ディレクターの赤地明子さんにインタビューを敢行。前編では、幼少期から続く“石への原体験”をはじめ、異業種から宝石の世界へ飛び込んだ転機、ニューヨークでの学び、そして“旅する宝石商”として世界各地を巡りながら石を選ぶ現在のスタイルについてお話を伺いました。

「完成されたジュエリー」より、“石そのもの”に惹かれていた

bororoのジュエリーに色濃く感じる“石そのものへの眼差し”、その感覚は一体どこから生まれてきたのか——。まずは、赤地さんにとっての“石との最初の記憶”について伺いました。

JEWELRY JOURNAL(以下JJ):

赤地さんが持つ“石の感覚”の原点についてお伺いしたいのですが、宝石や石に惹かれたのはいつ頃からだったのでしょうか?

また、今のbororoのジュエリーからは、“完成された装飾品”というより、石そのものへの強い眼差しを感じます。幼い頃から、すでにそうした感覚はあったのでしょうか?

赤地明子氏(以下、赤地):

宝石や石に惹かれたのは、本当に幼い頃からです。完成されたジュエリーというより、まず石そのものやビーチグラスなど、道端や海辺に落ちている“キラキラしたもの”を夢中になって探しているような子どもでした。

祖母が宝石好きで、香川県・高松の家に遊びに行くたびに、ドレッサーに並ぶジュエリーを見せてもらったり、実際に身につけさせてもらったりしていました。子どもながらに、その時間はどこか特別で、今でも空気ごと記憶に残っています。

一方で祖父も石が好きで、旅先で見つけた石に場所と日付を彫り、居間に飾っていたんです。今思うと、私にとって石という存在は、“装飾品”というよりもっと身近で、暮らしの中に自然とあるものだったのかもしれません。

なので当時から、完成されたジュエリーだけに惹かれていたというより、石そのものにも強く惹かれていたのだと思います。


異業種から宝石の世界へ。「方向転換するなら今しかない」

現在では、世界各地の鉱山や産地を巡り、自ら石を選ぶ“旅する宝石商”として知られる赤地さん。しかし、そのキャリアのスタートは、現在のイメージとは少し異なるものでした。

そんな中で、なぜ再び“石”という存在が自身の中で大きく浮かび上がってきたのか。そして、現在のbororoへとつながる感覚は、どのように育まれていったのでしょうか。

JJ:

現在の活動からは少し意外にも感じるのですが、学生時代はジュエリーや宝石を専門に学ばれていたわけではなかったそうですがー。

赤地:

学生時代は会計学を専攻していて、当時からジュエリーデザインや宝石を専門に学んでいたわけではありませんでした。

卒業後はIT系の会社でシステムエンジニアとして経理システムを担当し、その後、WEB系のベンチャー企業へ転職して、さまざまな企業のWEBサイト制作に携わっていました。かなり忙しい環境でしたが、仕事は本当に面白くて、毎日深く入り込むように働いていた感覚があります。

そんな中で、母の病気をきっかけに、一度立ち止まって、この先どう生きていきたいのかを考えるようになりました。そのとき、自分の中で改めて大きく浮かび上がってきたのが、小さい頃からずっと好きだった“石”という存在でした。

何か劇的な出来事があったというよりは、当時すでに20代後半に差しかかっていて、「方向転換するなら今しかない」という感覚が強かったです。勢いというより、「今動かなければ」と感じていた部分が⼤きかったと思います。

一見すると、前職と今の仕事はまったく違うように見えるのですが、実際には前職で学んだことが、今の活動の土台になっていると感じています。

石やジュエリーの仕事は感覚的なものと思われがちですが、石を選び、ジュエリーとして形にし、それをブランドとして伝えていく今の仕事にも、その両方の経験が自然とつながっている気がしています。

ニューヨークで学んだ、“石を客観的に見る”ということ

20代後半でニューヨークへ渡り、世界的な宝石学教育機関として知られるGIA(Gemological Institute of America)で学び、G.G.(Graduate Gemologist)を取得された赤地さん。現在では多くのジュエラーやバイヤーが学ぶ機関として知られるGIAですが、当時はまだ、海外へ渡って本格的に宝石学を学ぶ人は決して多くなかった時代でもありました。

“感覚”だけではなく、“知識”を通して石を理解する経験は、その後の石との向き合い方に大きな影響を与えたといいます。

JJ:

なぜ日本ではなく、あえて海外で本格的に宝石を学ぼうと思われたのでしょうか?

赤地:

当時、宝石について本格的に学ぶ方法を調べていく中で、日本には国家資格がなく、アメリカのGIAや、イギリスの英国宝石学協会によるFGA(Fellow of Gemmological Association of Great Britain)といった資格が、国際的な基準として広く認知されていることを知りました。

その頃の私は、知識も経験もほとんどゼロに近い状態でした。だからこそ、まずは石について体系的に学ぶ必要があると感じていましたし、自分の中では、そのためのひとつの“入口”として、資格取得には大きな意味がありました。。

当時は日本語で受講できる選択肢もありましたが、石の産地の多くは海外にありますし、この先、本当にこの仕事を続けていくのであれば、現地で交渉し、自分の言葉でコミュニケーションを取れるようにならなければいけないと思っていました。

単純に知識を身につけるだけではなく、自分自身をその環境の中に置きたかったんです。だからこそ、GIAを選びました。

JJ:

GIAにはカリフォルニア本校もありますが、その中で赤地さんがニューヨーク校を選ばれたのはなぜだったのでしょうか?当時、ニューヨークという街や、そこで学ぶ環境にどんな魅力を感じていたのかも気になります。

赤地:

アメリカではカリフォルニア本校という選択肢もありましたが、ニューヨーク校には、オークションやダイヤモンドストリートを実際に見に行くプログラムがあり、それにとても惹かれました。当時の私にとって、“宝石が実際に売買されている現場をこの目で見られる”ということは、すごく大きな魅力だったんです。

学校自体もマンハッタンの中心部にあったので、もともと⼀度ニューヨークに住んでみたかった私にとって、その環境も⼤きな魅⼒でした。

GIAでは、主にダイヤモンドのグレーディングと色石の鑑別を学びました。午前中は座学、午後はラボで、ひたすら石のグレーディングや鑑別を行う毎日でした。石の種類や特徴、処理の知識、品質の見方など、石を客観的に理解するための基礎をかなり幅広く学んだと思います。

それまで感覚的に「美しい」と感じていたものを、構造や成り立ち、結晶の特徴といった側面からも理解できるようになったことは、自分にとってとても大きな経験でした。

また、クラスには世界中からジュエリー業界を目指す人たちが集まっていて、価値観もバックグラウンドも本当にさまざまでした。今でも当時のクラスメートたちとは情報交換をしていますし、あのとき築けたつながりは、今でも自分にとって大切な財産になっています。

特に印象に残っているのは、「石は人間の指紋と同じように、どんな小さな石でもすべて違う」ということを教わったことでした。その言葉をきっかけに、どんな石でも“個性のある存在”として見るようになった気がします。

実は当時、知識を入れることで、逆に石を自由に見られなくなってしまうのではないかという不安も少しありました。でも実際にはその逆で、知識を得たことで、以前よりも石が深く、多面的に見えるようになった感覚があります。

だからこそ今でも、できるだけ良い石を見極められるように、知識は更新し続けていかなければいけないと感じています。

“旅する宝石商”として、石のいる場所へ向かう

bororoといえば、世界各地の鉱山や産地へ実際に足を運び、デザイナー自身の目で石を選ぶスタイルが大きな特徴のひとつです。その背景には、単なる“買い付け”ではない、赤地さん自身の強い興味と感覚がありました。

JJ:
赤地さんといえば、旅先で石と向き合う姿がとても印象的ですが、なぜそこまで“現地へ行くこと”を大切にされているのでしょうか?

赤地:

鉱山や産地を巡ることを大切にしているのは、宝石がどんな土地で、どのように生まれてくるのかを、自分自身の感覚として知りたいという気持ちが強くあるからです。

石だけを見ていると、つい“モノ”として捉えてしまいがちですが、実際には、その背景には土地の空気や気候、人の営みがあって、そういうものも含めて石の魅力につながっている気がしています。

だからこそ、できるだけ現地へ足を運び、その場所の光や匂い、温度を感じながら、自分の目で石を見て、自分の手で受け取りたいと思っています。

ブラジル・デュモルティエライトインクオーツの鉱⼭の⽳の前で談笑するディレクターの赤地さんと現地の方々

宝石は通常、多くの人の手を介しながら世界中を移動していきます。でも、産地に近い場所で石に触れると、「この石はここから来たんだ」という実感が強くなるんです。どんな人たちが採掘し、どんな環境の中にあったのかを想像できるようになるというか。

また、現地の方から直接石を買うことで、その土地にちゃんとお金が落ちるということにも、小さいながら意味があると思っています。

マダガスカル・トルマリン鉱⼭でのワンシーン

JJ:

実際に産地で石を選ぶときには、どのような感覚や基準を頼りにされているのかも気になります。これまでの旅の中で印象に残っている出来事などはありますか?

赤地:
現地で石を選ぶときは、直感と経験、その両方を頼りにしています。ぱっと見た瞬間に惹かれる感覚はやはり大事です。でも同時に、石の状態やバランス、ジュエリーに仕立てたときに、その石らしさをどう活かせるかまでを考えながら見ています。

旅は、いつも順調というわけではありません。思うように石に出会えないことも本当に多いですし、限られた時間の中で少しでも多くの石を見たいと思って、無理なスケジュールを組んでしまい、体調を崩したこともあります。

交渉の難しさに振り回されることもありますし、「今回はきっと見つかる」と思って向かったのに、結局ほとんど何も持ち帰れなかった旅もありました。何日も移動して、ひとつも石を買わずに帰ることもあります。

でも、今振り返ると、そういう時間も含めて、bororoというブランドが少しずつ育ってきたように感じています。

パキスタンでの買い付けの様子

一方で、旅先での出会いには本当に恵まれてきました。私には、“石の師匠”のような存在が3人います。旅の中で出会った、日本人、ドイツ人、アメリカ人の方々です。皆さん、それぞれ全く違う視点を持っていて、石の見方だけでなく、交渉の仕方や、人との関係の築き方、この仕事を続けていく上で大切なことを惜しみなく教えてくださいました。

石の仕事は、結局のところ人とのつながりの中で成り立っているのだと感じます。そういう出会いに恵まれてきたことは、今の⾃分の⽯の⾒⽅や、bororo のあり⽅につながっていると感じています。

「bororoらしい石」は、最後は感覚で決まる

審美眼に定評のある赤地さんですが、赤地さんが選ばれる石には、色や透明感だけでは説明できない特殊な感覚があります。

前編の最後に、石を選ぶ際の“赤地さんの軸”について伺いました。

JJ:

これは言葉にするのは難しいのかもしれませんが、石を見たときに「これは選ぶ」と判断する決め手みたいなものはあるのでしょうか?

赤地:

石を判断する決め手は、色や透明感、内包物、形のバランスなど、本当にいろいろあります。ただ、最後はやはり、自分の中の“軸”に引っ掛かるかどうかが大きいと思います。

その“軸”というのは、うまく言葉にするのが難しいのですが、きれいに整っているかどうかだけではなく、その⽯の中に時間や偶然性のようなものが少しでも感じられるかを⾒ている気がしています。

⾊の⼊り⽅や内包物、形の少しの歪み、光を受けたときの奥⾏きなどに、その⽯が辿ってきた時間がふっと現れているように感じることがあるのですが、そういうものに出会うと、強く惹かれます。

逆に、どれだけ整っていて市場的に価値が高い石でも、自分の中で何か引っ掛からないものは選びません。

また、石単体として美しいだけではなく、ジュエリーになったときにbororoらしく存在できるかも、大切にしています。石にはそれぞれ、光の見え方や重心、空気感のようなものがあって、仕立て方によっては、その魅力が消えてしまうこともあります。だからこそ、「この石は、どんなふうに身につけられると自然なのか」を想像しながら見ています。(少し加筆していますので、修正していただいても構いません)

たぶん私は、“整っていること”よりも、“その石にしかない個性や揺らぎ”のようなものに惹かれているのだと思います。


幼い頃から変わらず続いている、“石そのもの”への純粋な眼差し。そして、知識や経験を重ねながらも、最後は自分自身の感覚を信じて石を選ぶ姿勢。その静かな積み重ねが、bororoというブランドの独自性を形づくっていることが伝わってきました。

後編では、bororo誕生の背景をはじめ、「一点もの」であり続ける理由、ジュエリー観、そして5月にオープンした旗艦店について詳しく伺います。赤地さんが考える“石と人との関係”が、さらに深く見えてくる内容となりそうです。

interviewed on 2026.6
photo by bororo