六角柱の結晶、エメラルドに魅せられて《Honoka’s Emeralds》インタビュー − 前編

2017年に放送されたテレビ番組「情熱大陸」に、“エメラルドハンター”の肩書で登場した《Honoka’s Emeralds(ほのかのエメラルド)》のデザイナー・川添微(ほのか)さん。「私は、エメラルドのありのままの美しさを伝えたい」と語ります。だからこそ、自らが鉱山に入ってエメラルドを採掘し、そして手にした宝石をジュエリーに仕立てています。彼女を突き動かすエメラルドの魅力と、クリエイティブの原点を伺いました。

幼少期の石の思い出、学生時代の馬との生活

「生まれは兵庫ですが、育ちは香川県瀬戸内海の沿岸の田舎です。幼少の頃は、裏山で拾ったカンカン石(讃岐岩、サヌカイトのこと。叩くと澄んだ音がするのでカンカン石と呼ばれる。古代人が石器や楽器にカンカン石を使っていた)でよく遊びましたね。私と石の一番最初の思い出です」

発明家の父、漆作家の母をもち、自然豊かな土地で伸びやかに育った川添微(ほのか)さん。本人曰く「まさに野生児そのもの」だったそうで、数々の逸話があると笑う。

「幼い頃から乗馬をしていたんです。学校が始まる前に乗馬クラブに立ち寄って、掃除や餌やりが日課でした。高校生のときは遅刻しそうになると、学校へ馬に乗って行ったりもしていましたね。競技者として国体にも出場しましたが、動物に寄り添いたいという思いから獣医大学へ進学。でも、理想と現実に思い悩んで20歳で大学を中退した後は、しばらくバックパッカーで世界中を旅しました。でも旅をしたからって、自分が見つかるわけじゃないんですよね。母からも『何かやりたいことをひとつ決めなさい。嘘でもいいから、決めなさい。そして自分を騙しなさい。自分を洗脳しなさい』と言われて、そうして思い浮かんだのが“石”でした」

《Honoka’s Emeralds》のデザイナー・川添微(ほのか)さん

30歳まで活動を禁じられたジュエリーデザイナー

帰国後、東京にあるエメラルド原石の輸入会社に就職。バイヤーとしてコロンビアへ渡米し、採掘現場へ足を運んだり仕入れ交渉なども行う一方、プライベートでは少しずつジュエリーの制作も開始した。

「バイヤーの仕事は充実していましたが、私が感じた石の魅力をそのままジュエリーにしたいという思いもあって、個人的に制作をしていました。でも母に言われたんです。『ものを生み出すなら、もっと真剣に。後ろのドアを完全に閉めなければ、前のあかりは見えてこない。30歳まで、展覧会を開いたりとか中途半端なことをしたら許さない』と。ものを作ることを生業にしている母の言うことは的を得ていて、何も言い返せなかったですね。27歳の時に大病をしたこともあり、エメラルド原石の輸入会社を退職。世界的な宝石学の教育機関GIA(Gemological Institute of America)ニューヨーク校で学ぶために渡米し、29歳のとき宝石鑑定士の資格を取得しました」

ニューヨークで制作を続けながら、2002年に自身初の個展を高松のギャラリーenで開催。個展のために制作した17点の指輪は3日目で完売した。《Honoka’s Emeralds(ほのかのエメラルド)》として本格的なスタートを切ったこのタイミングが、ちょうど30歳を迎えた年だったそう。


家族とともに、ニューヨークからインドネシアへ

33歳のとき、バックパッカー時代に知り合ったアメリカ人のデイビッドさんと結婚し、後に長女リビちゃんが誕生。ジュエリーデザイナーとしてもニューヨークライフがより充実したものになるという未来予想図は、思いの外早いタイミングで崩れていった。

「子どもが生まれるまで、私自身に母性というものはないと思っていました。それまで自分の直感と欲望のままに突き進んでいましたからね。でも、そうじゃなかった。ジュエリーも作りたいし、子育てもきちんとしたい。なのに、両立できない自分がいる。もうすべてがどうしたらいいのか分からない状態でした。そんなときに、インドネシア・バリ島に移住していた母から『こっちに来てみない?』と連絡をもらって、長女を連れて母のもとへ里帰りしたんです。バリ島に到着するやいなや、私自身がこの土地のすべてに魅了されたんですよね。青く広い空と海、風にそよぐ緑や花々。そしてバリ島の子育てのシステム(集落文化が色濃く、子どもは村の宝として考えられており村人全員で育てる)も素敵だし、ものづくりの職人が多いのも魅力でした。私の理想はニューヨークではなく、ここにあったんだ!って雷に打たれたような思いですぐにデイビッドに電話しました。『バリ島に家族で移住するか、それが難しいなら離婚しましょう』ってね」

デイビッドさんは仕事を辞め、2004年に生後6ヶ月のリビちゃんとともにバリ島に移住。家族の新しい生活が始まるとともに、《Honoka’s Emeralds(ほのかのエメラルド)》もターニングポイントを迎えることになった。


「バリ島の家にはテレビもないし、窓はいつもオープン。暑いなと思えばプールで水浴びをして、夕方には大きな空が夕陽でゆっくりと染まっていく様子を飽きることなくいつまでも眺めています」と、川添さん。


瀬戸内のおだやかな自然を彷彿させる、バリ島の豊かな自然に囲まれた生活を送る。

《Honoka’s Emeralds(ほのかのエメラルド)》川添微(ほのか)さんのジュエリー制作にまつわるエピソードは、インタビューの後編に続きます。


Profile 《Honoka’s Emeralds》川添微
1971年兵庫県生まれ。香川県瀬戸内海の沿岸の田舎で育つ。大学中退後、東南アジアやオーストラリアを旅しながら「自分に向いた仕事は何か」を考えた。インドネシア・バリ島でオニキス、ラビスラズリ、水晶の加工を学び、オーストラリアではオパールの採掘、研磨に携わる。その後、エメラルド原石輸入会社に就職。そこで5年間、女性では珍しいバイヤーとして南米・コロンビアの山で採掘や研磨、加工に携わる。ジュエリーデザイナーとして独立するため7年後、世界的な宝石学の教育機関GIA(Gemological Institute of America)ニューヨーク校で学び、宝石鑑定士の資格を得てニューヨークを拠点に制作を始める。現在は、バリ島の自宅兼アトリエで制作を行っている。
公式HP | https://honoka.us


Text by Naoko Murata
Photo by Daisuke Ito(SIGNO)


エメラルド原石と植物の呼吸《HONOKA KAWAZOE(ホノカカワゾエ)》Exhibition – 学芸大学




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