【連載】コンテンポラリージュエリーことはじめ 番外編

- うつりゆく時代のギャラリーとギャラリストたち
オランダ東部の町、ナイメーヘンにある世界最大のコンテンポラリージュエリーギャラリー、MARZEE。世界各地の卒業制作を集めた「Marzee Graduation Show」第39回展の展示風景。写真提供: Galerie Marzee。撮影:ミヒール・ヘッフェルス(Michiel Heffels) / Galerie Marzee。
オランダ東部の町、ナイメーヘンにある世界最大のコンテンポラリージュエリーギャラリー、MARZEE。世界各地の卒業制作を集めた「Marzee Graduation Show」第39回展の展示風景。写真提供: Galerie Marzee。撮影:ミヒール・ヘッフェルス(Michiel Heffels) / Galerie Marzee。

前回までの「コンテンポラリージュエリーことはじめ」本編では、コンテンポラリージュエリーがたどってきた歴史を追いました。今回は、番外編として、その発展を支えてきたギャラリーに目を向けます。

「ジュエリーならギャラリーではなくショップなのでは?」と思われた方もいるかもしれません。もちろんショップに置かれるケースもあります。しかし、コンテンポラリージュエリーは作り手の自己表現でもあることから、展示の形式においてもファインアートをお手本にしてきました。そのため、ギャラリーで発表するのが慣習になっています。

ギャラリーは、企画展を開催したりアートフェアに出展することで作家に展示と販売の場を提供するだけでなく、才能の発掘や育成の役割も担っています。人と知識と作品があつまる場所として、議論や交流をうながし、コレクターや美術館との橋渡しもします。作家はギャラリーの力を借りることで、幅広い層や市場にリーチできるようになり、広い文脈において、評価や位置づけがなされます。つまり、作家と、世間や制度とをつなぐ架け橋として機能しています。

コンテンポラリージュエリーの領域でもっとも重要なのは専門ギャラリーですが、工芸系のギャラリーが取り扱いジャンルのひとつとして紹介することも少なくありません。レンタルギャラリーや百貨店画廊などもあります。歴史的には、大学などの教育機関の併設ギャラリーも重要な展示空間として機能してきました(現在における国内の例には、東京にある水野学園の HOLE IN THE WALL が挙げられます)。

専門ギャラリーの傾向としては、ひとつのギャラリーで国内外の大勢の作家を扱うところが多いことがあります。現役のジュエリー作家や、大学のジュエリー科の卒業生など、作り手としてのスキルを持つ人がギャラリストに多いことも、ひとつの特徴といえるかもしれません。

コンテンポラリージュエリーは、工芸、デザイン、アート、時にファッションが複雑に絡み合った領域のため、置かれる場所も多岐にわたり、インテリアや服飾系のショップで扱われることもあります。こうした場所での展示は、批評や評価の対象にはなりづらくはあるものの、より広い層の目に触れ、裾野を広げるという点でひとつの役割を果たしています。

このあと紹介するアムステルダムの Galerie RA では「RA Bulletin」と銘打ち、各種イベントや展覧会の情報をポスター形式のニューズレターとして発行していました。写真はドイツのゲオルグ・ドブラー(Georg Dobler) (1952-) の展覧会 (1986) の案内。撮影:アンナ・ベーケ (Anna Beeke)。写真提供:ポール・デレ。

制度が確立されるまで

ギャラリーのひとつ前の段階として、アメリカを例にとります。モダニズムジュエリーが開花した20世紀半ば、多くの作り手が工房を兼ねた店を持ちました。その一例を、連載第3回で紹介しています。

当時、アメリカの高等教育機関は、ジュエリーを専門的に学ぶ場所として、まだまだ発展途上の段階にありました。多くの作り手は、短期や夜間の講座に通ったり、独学によって技術や知識を習得する必要があったのです。

作り手によって営まれる工房も兼ねたショップは、こうした人々が集い、情報交換をする場でもありました。やがて、教育機関のカリキュラムが整い、関連協会や美術館の担当部門が創設されるなど、インフラ整備と専門化がすすむにつれ、本格的なギャラリーも登場するようになります。

ギャラリーの原形ともいえる工房兼店舗は、地域や時代を超えたひとつのスタンダードになっています。訪れる側としては作り手と直接コミュニケーションをとれるのも魅力です。なかには企画展を行う場所もあり、国内では、ジュエリー作家の小嶋崇嗣による FACILE(京都)(2010-)、デザイナー兼クラフトマンの増﨑啓起による MEDIUM(北九州)(2012-)などがそれにあたります。

専門ギャラリーの前身としては、ほかにも複数の作り手が営むアーティストラン形式もあります。この形式は近年ふたたび増えつつあり、その運営方法はさまざまで、ほとんど販売に特化した、ショップに近いものもあれば、企画展を行うところもあります。

初期の例ではアメリカの Shop One (1953-1970年代半ば) 、長く続いているものにはニュージーランドの Fingers(1974-)、などがあります。国内の例では、ジュエリー作家の小林初子と、ニューヨーク在住の金工作家の窪田啓子による het Labo atrium (2017-) が挙げられます。海を越えた二拠点で展開するという手法がユニークです。

一時代を築いたギャラリストたち

では、コンテンポラリージュエリーにおけるギャラリー文化の礎を築くのに貢献した人々のなかから、3人のギャラリストを紹介します。

バーバラ・カートリッジ

ひとりめはバーバラ・カートリッジ (Barbara Cartlidge) (1922-2017) です。カートリッジがラルフ・ターナー (Ralph Turner) (1936-2017) とともにロンドンで Electrum を立ち上げたのは 1971 年。ジュエリーに対する世間の趣味も保守的で、新興ジュエリーにふさわしい発表の場もほとんどなかった時代です。Electrum は世界初となるコンテンポラリージュエリーの専門ギャラリーとして、作り手と大衆をつなぐ架け橋となりました。

左:在りし日のElectrum Gallery 外観。1979年撮影。右:バーバラ・カートリッジ。1990年撮影。カートリッジは自身も学生時代にジュエリー制作を学んでいます。その先端的な作品はファッション誌の誌面を飾りました。写真:カートリッジ家アーカイブより提供。

コンテンポラリージュエリー界ではその後、新たな表現の模索が進み、ウェアラブルスカルプチャーや着用型オブジェといった、形の上でも大きさの上でも、およそジュエリーとは呼びがたく日常で楽しむのには向かない作品が、一部の作家やキュレーター、著述家から最先端だとして熱い支持を受けるようになります。

カートリッジはその風潮に与せず、つける人の一部となり、その心や情緒に働きかけることで可能になる、持ち主との私的な関係性の在り方を強調します。だれかの人生に寄りそう存在になりうるものとしてジュエリーを世に伝えるということもまた、使命のひとつだったのでしょう。

カートリッジの審美眼は遠く日本にも向けられ、平松保城 (1926-2012) や中山あや (1946-)、伊藤一廣 (1948-1997) といった作家たちも紹介しました。こうして国を超えて活動して国際交流を推進し、モダンジュエリーの一大発展期を支えたという点でも、カートリッジの貢献の大きさは計り知れません。

著作である『Twentieth-Century Jewelry』(1985) は、作家作品からカルティエなどのハイブランドに至るまで300点を収めた大著で、そのすべてにカートリッジによる解説が添えられています。

Electrum Gallery の内装。1990年撮影。このギャラリーでは、年間4本程度の企画展と、クリスマスシーズンに1本の展覧会が開催されていました。写真:カートリッジ家アーカイブより提供。

ヘレン・ドゥルット・イングリッシュ

アメリカでは、時のクラフトムーブメントに感銘を受けたヘレン・ドゥルット・イングリッシュ (Helen Drutt English) (1930-) が、1973年に Helen Drutt Gallery (フィラデルフィア)を立ち上げ、国際的なネットワークを築いていきます。アメリカの作家を他国に紹介するのはもちろん、他国の作家をアメリカに紹介しました。たとえば、オットー・クンツリハイス・バッカーの個展をアメリカで初めて行ったのも、このギャラリーです。ドゥルットはあるインタビューで、その文化的大使としての大役を指摘されており、その肩書にふさわしく、コンテンポラリージュエリーの枠を超え、クラフト諸分野や国内外の美術館との大きな仕事を手がけています。

ドゥルットの専門分野には陶芸やテキスタイルも含まれますが、身につけて歩くことができ、会話のきっかけになるという点で、ジュエリーは特別な意味をもっていると言います。実際、ドゥルットの資料を追っていると、つけていたジュエリーを機に話が弾み、のちのプロジェクトにつながったというようなエピソードが見られます。

ドゥルットは大きなプロジェクトを動かすうえで大切なのは、人との縁や交流、対話や意見交換なのだと説き、多くの人と出会い、親交を深めることの重要性を語ります。ドゥルットがこれまで成しとげてきた数々の偉業は、そうして築かれた信頼関係の象徴や記念碑というべきものなのかもしれません。

コレクターでもあったドゥルットが収集したジュエリーは700点近くにのぼり、のちに約300点が、ヒューストンのミュージアム・オブ・ファインアーツに寄贈されました。ギャラリーは2002年に閉廊しますが、ドゥルットの精力的な活動はその後も続いており、毎年3月になると今もなお、最新の動向を学ぶために、コンテンポラリージュエリーの祭典であるミュンヘン・ジュエリーウィークに足を運んでいます。ほかにも、エルミタージュ美術館やスウェーデン国立美術館をはじめとする、国内外の主要美術館でクラフト関連の展示企画やコレクション形成に協力するだけでなく、各地に飛びまわって講演も行い、その知見を惜しみなく人々に分け与えています。

ギャラリーを創業したときの情熱は、クラフトムーブメントに突き動かされてのものだったかもしれません。しかし、ドゥルットの仕事はそのスタートから、個人レベルでの自己実現や趣味を超え、未来への遺産をこの手で確かに残すのだという揺るぎない信念と使命感に貫かれているように見えるのです。

ギャラリーを開くまで、スクリュードライバーを手にしたことすらなかったというドゥルット。今やコンテンポラリージュエリー界、ひいてはクラフト界の「ゴッドマザー」と呼ばれる存在です。ドゥルットもまた著述家としての顔を持ち、複数の著作を世に出しています。写真提供:ヘレン・ドゥルット・イングリッシュ。初出:American Craft Magazine、1979年 8/9月号、(Volume 39, Number 4)

マリー=ホセ・ファン・デン・ハウト

オランダには、1970年代に創業したギャラリーが今も残っています。それが、1979年にマリー=ホセ・ファン・デン・ハウト(Marie-José van den Hout)(1941-) が立ち上げた MARZEEです。ファン・デン・ハウトは三世代にわたって礼拝用の金銀製品を制作する一族に生まれ、自身もまた、学生時代に金銀細工と美術を学びました。この経歴を見るだけでも、のちにコンテンポラリージュエリーギャラリーを営むという道をたどるのは、自然ななりゆきにすら思われます。

MARZEE は、多くの人がギャラリーと聞いて想像するワンフロアのホワイトキューブではありません。総床面積850平方メートルを誇る、穀物用の倉庫をリノベーションした4階建てのビルがすべてこのギャラリーで、新旧2500点を超える作品が収められています。

このギャラリーが特に力を入れているのが新たな才能の発掘と若手の支援です。1986年からはオランダ国内の卒業制作作品を集めた「Graduate Show」を開催。現在のビルに移転した1995年以降は「Marzee Graduation Show」と改題して国の枠を払い、国際的な一大展覧会へとスケールアップさせました。

2019年からはその延長とも呼ぶべき取り組みとして、アムステルダムに Intro MARZEE という新しいスペースを立ち上げます。これは、在学中あるいは新卒の若い作り手にチャンスを与えるための場で、ユニークなのはその運営方法です。いちど「担当」になった作り手は3年間にわたって運営を任され、この場所を使って展示の企画や作品の販売を行うことができます。

ギャラリー3階に立つファン・デン・ハウト。ネックレスは、ドイツの作家ドロテア・プリュール (Dorothea Prühl) (1937-) の作品。ファン・デン・ハウトはあるインタビューでどのような作品を求めているか問われた際に、Head、Hand、Heart の「3H」を挙げています。つまり、発想と技術に優れ、どのような意図で作られているかが重要、ということです。写真提供: Galerie Marzee。撮影:ミヒール・ヘッフェルス / Galerie Marzee。
左:MARZEE の外観。黄色の大きな文字が目を引きます。右:ディスプレイ風景。写真提供: Galerie Marzee。撮影:ミヒール・ヘッフェルス/ Galerie Marzee。

もちろん、コンテンポラリージュエリーにおけるギャラリー制度創成期に、作り手を支えたのはこの3人だけではありません。たとえば、外科手術をして皮下にステンレス片を埋め込み「ジュエリー」としたピーター・スクービチ (Peter Skubic) (1935-2024) をはじめ、ラディカルな作家を多く輩出してきたオーストリアで Galerie am Graben (1972-1988) を営んだインゲ・アセンバウム (Inge Asenbaum) (1925 – 2016) も重要なギャラリストとして数えることができます。アセンバウムもまた、国内外で展覧会に協力したほか、700点超もの作品を収集しました。このコレクションは現在、ダラス美術館 (テキサス) に収蔵されています。

受け継がれるレガシー

これまで多くのギャラリーがその歴史に幕を閉じてきました。かといって、それでその志までついえるわけではありません。引き続き、オランダを例にとってみてみましょう。

オランダでは、1969年という早い時期に、ルース・マルティン (Lous Martin) (1945-) と ハンス・アッペンツェラー (Hans Appenzeller) (1949-)というふたりのジュエリー作家が Galerie Sierraad を開きました。このギャラリーが1975年にクローズすると、ここでインターンを務めた経験をもつポール・デレ (Paul Derrez) (1950-) が、アムステルダムに Galerie Ra を立ち上げます。

Galerie Raは、その43年の歴史の間に2回移転し計3カ所で営まれました。写真はひとつめの場所であるランゲ・ライゼドワルス通りにあった時に行われた、オンノ・ブックハウト(Onno Boekhoudt) (1944-2002) の展覧会の展示風景。ディスプレイへのこだわりもみどころのひとつ。写真提供:ポール・デレ。

美術や工芸のギャラリーと同じように、コンテンポラリージュエリーのギャラリーにも、それぞれ特徴があります。Galerie Raは、貴金属や宝石以外の異素材をつかった実験的かつ前衛的な作風を好む点が、その特徴としてあり、その評判は海を越え、海外の作り手たちの憧れにもなりました。

他にもこのギャラリーは、マルチプル、つまり同一作品の複数制作の重要性を早くから説いていました(ポール自身も作り手で、そういった作品を作っています)。これは、Sierraad から引き継がれた方針でもあり、オランダ全体のコンテンポラリージュエリーのひとつの傾向でもあります。

その根底にあるのは、作品の価値を決めるのは素材や一点性ではなく、あくまで発想であるという考えです。マルチプルを扱うのも、より多くの人に手に取ってもらうためであって、ただ価格を下げて数を売るためではありません。

それを逆説的に物語るのが、ゴールドを敬遠する傾向が強かった1985年オランダで、ゴールドを新たに解釈し直したロバート・シュミットの個展をこのギャラリーが行ったことです(詳しくは連載第10回を参照してください)。このことはまさに、発想重視の姿勢のあらわれといえます。

Galerie Raは 2019 年に惜しまれつつ閉廊を迎えますが、デレはその後も、作家としてだけでなく、若手からベテランまで15名のアーティスト・コレクティブが立ち上げたショップ、the Pool のサポートメンバーとして活動を続けています。

同じくアムステルダムでは、Galerie Louise Smit (1986-2012) もまた、コンテンポラリージュエリーの文化を支えるうえで重要な役割を果たしてきました。ここで1997年から働き始め、パートナーを務めたロブ・コウダイス (Rob Koudijs) (1944-2024) は、2007年にGalerie Rob Koudijs を立ち上げます(2024年に閉廊)。両者は考え方の違いから別の道を歩むことになったようですが、それでも Galerie Louse Smit で培われた見識が、このギャラリーにも少なからず受け継がれたことは否めないでしょう。

なじみあるギャラリーがその歩みに終止符を打つのはさみしいことですが、そのレガシーは形を変え人々の心のなかで確かに受け継がれていくのです。

ロッテルダム・コンテンポラリー・フェア (2016) でのポール・デレとそのパートナー、ヴィレム・ホグステーダ (Willem Hoogstede) (1947-2024)。ホグステーダもGalerie Raを語る上で忘れてはならない人物です。教師業の傍らコンテンポラリージュエリーのコレクターでもあり、創業当初からギャラリーの運営や企画に携わりました。つけこなすのが難しい主張の強い作品も見事につけこなす個性とファッションセンスはなかなか真似できるものではありません。撮影:ミーケ・オーステルマン (Miecke Oosterman)

変わる社会、変わる見せ方

ギャラリーの在り方も時代の社会や変化とともに変わっていきます。従来どおりの実空間による運営形態に加え、オンラインでの展示販売も増えました。そのことで、それまでは個別に問い合わせるか直接足を運ぶかくらいしか知る手立てがなかった、作品価格の透明化も進みました(筆者の体感ではパンデミック下でそれが加速した印象がありますが、そのあたりの感じ方は人によるようです)。

時には思いがけない事態が発生し、展示の仕方を工夫する必要が出てくることもあります。たとえばコロナ禍においては、自宅にいたまま鑑賞できるオルタナティブな取り組みとして、バーチャル展覧会も開催されています。そのひとつが2020年に Gallery Loupe (ニュージャージ州/アメリカ)が行った電子カタログ形式の展示「One World | 40 Artists Respond to Covid-19」です。10か国超から40名の作り手が参加し、新興感染症の世界的拡大という危機に制作を通じて応答しました。

アメリカでは20世紀半ばにしてすでに、ジャーナル誌などで誌上展覧会の形式がしばしば採られてきました。コロナ禍における Gallery Loupe の臨機応変な対応は、そうした歴史的事例を引き継いでいるのかもしれません。

作家やギャラリストに話を聞きながら、作品を手に取りダイレクトに体感すること。それにまさる鑑賞体験や購入体験はありません。しかし、それがむずかしい状況においては、知恵を絞り代替案を模索する必要がでてきます。

キャプション:「One World」展より、イタリアのジュエリー作家、アンナマリア・ザネッラ (Annamaria Zanella ) (1966-2022) の作品。この電子カタログはいまでも閲覧でき、作品集だけでなく、コロナ禍における作り手の困惑や葛藤、制約のある環境下での創意工夫や試行錯誤の軌跡を伝える記録にもなっています。写真提供:Gallery Loupe。

おわりに

コンテンポラリージュエリーのギャラリーを取り巻く問題をひとつ挙げるなら、アートのギャラリーと比べてはるかに数が少なく、ギャラリーでの発表をめざす作家をじゅうぶんにカバーしきれていないことがあります。残念なことに、ギャラリストやコレクターの高齢化が進み、閉廊が相次いでおり、その状況に拍車がかかっているのが現状です。

ただし、いくら数が少なくとも、この記事ひとつで全容を網羅できるものではありません。そのため、ここで取り上げた内容には偏りがあることを、最後に書き添えておきます。たとえば、長くコンテンポラリージュエリーの中心地であってきたドイツについて言及できませんでしたが、Galarie Spektrum (1981-2023) や Galerie Biró (1992-) といったギャラリーがその文化基盤を支えてきたことは言うまでもありません。

また、毎年3月に行われる一大イベント、ミュンヘン・ジュエリーウィークにおいては、市内の数十ものギャラリーやイベントスペースで関連展覧会やトークイベントが開催されることからも、専門ギャラリーの枠を超え、ドイツがギャラリーという制度を通じてコンテンポラリージュエリーの文化を今なお支えていることは明らかです。

現在訪れることのできるギャラリーの資料には、Klimt02 の会員ギャラリーのリスト があります。このリストには、ここでは取り上げられなかった多くの国々のギャラリーが並んでいますので、コンテンポラリージュエリーに興味があって、近くを訪れる機会のある方は、そちらを覗いてみてください。

以下には、ごく一部ではありますが、リンク先のリストには含まれていないギャラリーをいくつか紹介しておきます。国内であれば、gallery deux poissons (東京) (2003-) 、Gallery CAJ(京都) (2006-) が長くコンテンポラリージュエリーを扱っているギャラリーとして数えることができます。

Viceversa (スイス) 、Ornamentum Gallery (アメリカ)、Gallery SO (イギリス)、Galerie beyond (ベルギー)、Gallery Funaki (オーストラリア) 、Galerie Slavik (オーストリア)、Objectspace (ニュージーランド)(※順不同。本文中で紹介したギャラリーは除く)

※いずれの情報も2025年10月時点のものです


【主な参考資料】
Janet Koplos, Bruce Metcalf, Makers: A History of American Studio Craft, North Carolina: The University of North Carolina Press, 2010
Marbeth Schon, Form & Function: American Modernist Jewelry, 1940-1970, Atglen: Shiffer Publishing Ltd, 2008
Helen W.Drutt English, Peter Dormer, Jewelry of our Time art, ornament and obsession, New York: Rizzoli International Pulications, inc. 1995
Barbara Cartlidge, Twentieth-Century Jewelry, New York: Harry N. Abrams, Inc. 1985
Paul Derrez, 35 years Ra Gallery: Ra Present, Amsterdam: Galerie Ra, 2011
Benjamin Lignel, Shows and Tales – On Jewelry Exhibition-Making, Mill Valley: Art Jewelry Forum, 2015
Liesbeth den Besten, On Jewellery: A Compendium of International Contemporary Jewellery, Stuttgart: Arnoldosche Art Publishers, 2011

【主な参考プラットフォーム】
Art Jewelry Forum
Klimt02
Genoksin: Jewelry Making Resources
Contemporary Jewelry Free Encyclopedia

【その他の主な参考ウェブサイト】
(本文中リンク先および上記プラットフォーム内の個別記事を除く)
Lecture. Helen Williams Drutt/Die Neue Sammlung – The Design Museum (YouTube)
Rachel Morón, Unpacking ‘Present’: Celebrating 40 years of Galerie Marzee
Museo Del Gioello Vicenza: Marie-José Van Den Hout 
40 years of Galerie Marzee: Still Influencing Art Jewelry with Marie-José Van Der Hout, Founder & Director of Galerie Marzee (Podcast)

【その他の資料】
2025年10月10日付、ミヒール・ヘッフェルス氏からの電子メール
2022年3月31日付、リースベット・デン・べステン氏からの電子メール

オンライン資料の最終閲覧日は全て2025年10月8日


謝辞:
※この連載は、以前このウェブマガジンに掲載されていた同タイトルの連載を大幅にお色直ししたものであり、その内容は2021年5月1日に開催されたコンテンポラリージュエリーシンポジウム東京のオンラインプログラム「コンテンポラリージュエリーの基礎知識」の講義に基づいています。
※このコラムのテキストおよび画像の無断転載や無断使用は固くお断りします。画像の取得においては、Paul Derrez 氏、Helen Drutt English 氏、Michiel Heffels氏、Patti Bleicher 氏、Janice Hosegood氏、Beatriz Sampson氏、住岡真理子氏、Morgane De Klark 氏のご協力をいただきました。
※より詳しく知りたい人が検索しやすいよう、日本語での情報の少ない固有名詞は原文を併記しています。


これまでの「【連載】コンテンポラリージュエリーことはじめ」も、ぜひお楽しみください。



Makiko Akiyama

秋山真樹子 Makiko Akiyama

専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ コンテンポラリージュエリーコース卒。卒業後、同校での教職を経て翻訳・執筆業に転向。Art Jewelry Forumアンバサダープログラム日本代表。共著に『Spring/Summer 16_green gold』(Schmuck2編、2017)『Jiro Kamata: VOICES』(Arnoldsche Art Publishers、2019)がある。

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