
繊細でモダン、そして自由なパールジュエリーで知られる《MIZUKI(ミズキ)》は、ニューヨークで誕生し、今、世界中の女性たちを魅了し続けています。
パールの可能性を広げる洗練されたデザインはどのように生まれ、どんな想いが込められているのか。
今回は、《MIZUKI》デザイナー・ミズキ・ゴルツさんへロングインタビューを敢行。前編ではブランドの歩みやインスピレーション、パールへの想いについてじっくり伺いました。
ニューヨークで偶然始まった“ジュエリーへの道”
《MIZUKI》が立ち上がっておよそ30年。今となっては世界に名を轟かすブランドですが、その始まりはどんなものだったのでしょうか。
JJ:
《MIZUKI》が生まれるきっかけとなったエピソードをお聞かせいただけますか?
ミズキ・ゴルツ(以下ミズキ):
私はニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツ(以下SVA)で、美術と彫刻を学んでいました。彫刻の持つ“身体性”に魅了され、人の身体のラインを追いかけるようにして制作していたのを、今でもよく覚えています。
SVAに通いながら、同じくニューヨークにあるアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク(The Art Students League of New York)でデッサンのクラスも取っていたのですが、ある日、その授業の帰り道に57丁目にある小さなボタン屋にふと足を踏み入れました。うなぎの寝床のように細長く、まるで隠れ家のような、ひっそりとしたお店でした。
店内を歩きながら、胸が高鳴ったのを覚えています。ガラスのフルーツやプラスチックのパールに心を奪われて──“夏に向けて、自分のために何か楽しいネックレスを作ってみよう”と思い立ったんです。
その後、そのネックレスをつけて母と買い物をしていたときのことです。通りすがりの女性に「そのネックレス、どこで買ったの?」と声をかけられました。「私が作ったんです」と答えると、なんとその場で「それを買いたい」とおっしゃってくださって。とても嬉しくて、その場で彼女にお譲りしました。いただいた20ドル札は、記念に母へ手渡しました。あの日のことは、今でも鮮やかに心に残っています。

私のブランドの始まりは、そんなニューヨークストーリー。
ジュエリーを本格的にデザインしようと決めたのは、もう少し後のことですが ──
この思いがけない出会いが、私をジュエリーという道へと静かに導いてくれました。

JJ:
小さなボタン屋さんに足を踏み入れたミズキさんと、そんなミズキさんに声をかけた女性。まるで映像が浮かぶような、なんともドラマチックなストーリーに、一気に《MIZUKI》の世界観へ引き込まれてしまいます。
《MIZUKI》を立ち上げるにあたり、重要な人物でもあるパートナーのアランさんとは、どのように知り合われたのですか?

ミズキ:
アランも、同じくSVAの卒業生なんです。2年生のときに出会いましたが、その頃はまさか彼と一緒にブランドを立ち上げるなんて、想像すらしていませんでした。
けれど、西海岸出身のアランが育んだ感性と、東洋と西洋が混ざり合った私の感覚が、どういうわけか自然に重なって──気づけば、彼と一緒に歩んでいくことになったのです。
始まりはソーホーのロフトから。
当時は、アーティストとして“自分の好きなものをつくる”というスタンスでブランドを続けていました。そんなある日、バーニーズ・アメリカ、そしてバーニーズ・ジャパンから連絡をいただいて、大きなチャンスが舞い込んできたんです。
当時は今よりずっとジュエリー業界が小さくて、バイヤーとの距離ももっと近い時代でした。 ここから《MIZUKI》は、本格的に動き出したんです。

JJ:
ともにアーティストのお二人ですが、ブランドの中ではどの様に役割分担をされているのでしょうか?
ミズキ:
《MIZUKI》のデザイナーは私ですが、夫のアランとはいつもアイデアを出し合っています。彼もアーティストなので、同じ目線で、アーティストが何を必要としているのか、何をデザインしたいのかを深く理解しながら、私やチームにとって最適な環境を整えてくれるんです。
財務や経営戦略は、すべて彼の担当。
カリフォルニアの牧場で育った彼は、物事を築いていく力にとても長けていて──それが本当に頼もしくて。
私たちにとって、まさに“完璧なコラボレーション”なんです。
MIZUKIとパールとの特別な関係
ミズキさんとアランさん、お二人のハーモニーによって支えられているブランド《MIZUKI》。ここからは、いよいよそのデザインについてもお伺いしていきます。
JJ:
《MIZUKI》といえば、モダンで繊細なパールジュエリーのイメージが定着していますが、そもそもブランド設立当初からパールを主軸にしていたのでしょうか?
ミズキ:
ブランドの当初からパールは取り扱っていましたが、パールをメインに据えたコレクションを始めたのは、今から約10年前。『Sea of Beauty』がそのはじまりです。

ゴールドやシルバーの地金に、ダイヤモンドやカラーストーンを組み合わせたジュエリーが人気を得た時期もありましたが、時を重ねるうちに、「今こそ、新たな挑戦のとき」だと感じるようになったんです。
私にとってジュエリーは、“第二の皮膚”のような存在。 だからこそ、あえて未加工でユニークな素材を取り入れ、これまでとは異なる個性を表現したくなったのも、大きなきっかけのひとつでした。
そして私は、あらためてパール──特に、バロック・パールに恋をしたのです。 大胆でありながら繊細。官能的でありながら、どこか力強さもある。 そんなパールの魅力に、深く惹かれていきました。

パールは、自然主義的な美しさを湛えているだけでなく、何より“命”によって生み出されるもの。私はパールを、女性の身体の延長のような存在として捉えています。そのナチュラルな美しさや、完璧ではないことすらも──美しい、と。
とくに今という時代において、それはとても貴重なことだと感じています。 パールが持つ個性と官能性── それは、私にとってまさに「完璧な世界」なんです。
“感情”と“感触”から生まれるデザイン
パールをフィーチャーしたものを含め、《MIZUKI》には現在、3つのコレクションが展開されています。そして今も、次々と新たなコレクションが生まれ続けています。
JJ:
コレクションを生み出すのはどのような過程を経ているのでしょうか?ミズキさんならではの独特なクリエイションについてお伺いさせてください。
ミズキ:
私の創作は、“感情”と“感触”を起点にしています。
スケッチから始めるのではなく、まずは実際に手を動かし、形をつくりながら考える──いわば、彫刻のようなアプローチです。ひとつのアイデアが見えてくると、ワックスで何度もモデルをつくり、着け心地を確認していきます。ジュエリーにとって“着け心地”は、とても大切な要素だと思っています。

そして最後の仕上げでは、あえて“予想外のタッチ”を加えることも大切にしています。
ほんの少しの変化が、ジュエリーと身につける人との間に、個人的で親密なつながりを生んでくれるからです。実のところ、この構想期間こそが、私にとっては一番ワクワクする時間なんです。
最終的なプロセスとして欠かせないのが、夫・アランとの“エディット”。 彼はデザインのすべてを深く理解し、客観的な視点を持って意見をくれます。もちろん、すべての意見が一致するわけではありませんが、私は彼の決断をとても信頼しています。
最終的には、コレクション全体が、私のブランドのアイデンティティ、そしてアーティストとしての私のビジョンにしっかりと沿っていること──それが何よりも重要です。
一見、シンプルに見えるジュエリーでも、実は数えきれないほどの微調整を経て完成しています。そして何か大切なものを輝かせるためには、ときに他のものを、そっとそぎ落とす勇気も必要なのだと思います。
JJ:
アイディアを生み出すときのインスピレーションの源はあるのでしょうか?
ミズキ:
インスピレーションはすべて内面から来るもので、外からの力ではないと私は思っています。
自然やアート、音楽、ファッション── 日々の暮らしの中にあるあらゆるものがインスピレーションの種ではありますが、ただ単に外の世界を引き出しにしまうのではなく、何を、どこで、どのように感じるのか、その“感覚のエッセンス”を何よりも大切にしています。
インスピレーションは、“謎のまま”が美しいのです。 自分の内側に深く目を向けたとき、はじめて、その扉が静かに開かれるのだと思います。
小さなボタン屋で出会ったパールと、偶然のひと声。 そこから始まった《MIZUKI》の物語は、まるで一粒の真珠が静かに光を帯びていくように、時をかけて輝きをまとってきました。
繊細さと力強さ、感情と感触── ミズキさんの創作に宿るすべては、彼女自身の人生と深くつながっています。
後編では、二つの文化を生きるミズキさんの感性や日々の暮らしに焦点をあて、創作に宿る“内なる美意識”に迫ります。
ジュエリーという小さな彫刻に込められた“静かな情熱”と未来へのまなざしを垣間見ることができます。
interviewed on 2025.9
2025年12月5日(金)より、ロンハーマン六本木店内にて、《MIZUKI(ミズキ)》初となるショップインショップもオープン。ぜひ足をお運びください。