【連載】コンテンポラリージュエリーことはじめ Vol.12 – 領域を超える

大山由華、『ジュエリー・クイッキーズ(Schmuck Quickies)』、パフォーマンス、2003、撮影:ベッキー・イー(Becky Yee)、写真提供:大山由華 | 相手が欲しいジュエリーをその場で尋ね、即興で作り上げるこのパフォーマンスは、2002年から2012年にかけ、日本の他にもドイツやスイス、イタリアなど複数の国で行われました。あなたならどんなジュエリーをオーダーしたいですか? 写真左は新潟県越後妻有十日町、右は代官山アートフェアの際にアートフロントギャラリー(東京)で開催した時のもの。

 

前回のこのコラム「コンテンポラリージュエリーことはじめ Vol.11 – 原点回帰」では、1990年代に見られた潮目の変化を見ていきました。

そこには、ジュエリーの本質に目を向け、着ける人や使う人の存在を重視する姿勢を見ることができました。今回は「領域を超える」と題し、さらに大きな枠組みで関係性に変化をもたらそうとした仕事に着目します。

制度の壁をこわす

コンテンポラリージュエリーで領域や壁を超えるといえば、多くの人が最初に思い浮かべるのがオランダのディニー・ベイセムス(Dinie Besems)(1966-)ではないかと思います。

例を挙げます。ベイセムスは卒業制作の際、氷をつないだネックレスが徐々に溶けて服に染みを作る様子を映像に収めて展示しました。テントウムシを誘引するフェロモンを瓶に詰め、中身を服に振りかけるとそこにテントウムシが集まってジュエリーになるという作品を作ったこともあります。

これらの作品ではジュエリーの「形」と「時間」にまつわる一般通念が軽々と突破されています。他にもインターネットの黎明期にバーチャルジュエリーの可能性を探るなど、ベイセムスの先見性や超えっぷりは挙げればキリがないほどですが、領域を超えるという点において特に注目したいのは展示の制度に切り込んだことです。

ディニー・ベイセムス、『この場所は私のもの(This Space is Mine)』、ネックレス、1996、素材:銀(金メッキ加工)、支柱 7cm 高、写真提供:ディニー・ベイセムス | 周囲への警戒心が強かった駆け出しのころに作った、「何を身につけるのも何を考えるのも自分の自由」というコンセプトの作品。美術館でも見かける、作品への接近を制限するための柵を思い起こさせるこのネックレスは、「作品を守る」と言う時に、本当に守られるべきものは何かを問うているようにも見えます。

 

その代表例が『ネバー・ネイキッド・アゲイン(Never Naked Again)』です。この作品でベイセムスは、自宅アパートの部屋を舞台に1時間かぎりの展覧会を開きました。その後の展示でも、教会や空きビルなど変わった場所を会場に選んでいます。

ベイセムスの前にも、たとえばファインアートのギャラリーで展示をした作家はいます。しかし、扱う対象が何であれ、ギャラリーが芸術性を担保する空間であることは変わりありません。ベイセムスはギャラリーという制度そのものを問うているところに注目したいところです。

形の上でも制度の上でも、ひとつの枠では括れないベイセムスの仕事は、当然の帰結として、デザイナーや建築家を含む他分野の人たちとの交流やコラボレーションへとつながっていきます。ここではそういったコラボレーションそのものではなく、そのひとつ前の段階に焦点を当てました。

その理由は、コンテンポラリージュエリーが領域を超える際、コンテンポラリージュエリーだけでなく、ジュエリーやアートというもっと大きな枠組みにすら収まらない発想や、そういった枠組みを支える制度に対する批判的なまなざしがあったことを強調したかったからです。

ディニー・ベイセムス、『ネバー・ネイキッド・アゲイン』、ネックレス、1997、素材:銀、写真提供:ディニー・ベイセムス | 自宅アパートでの展示風景。部屋の壁にチェーンをつたわせ、窓や扉にあたる位置に装飾を施し、原寸大の間取りをネックレスにした作品(ガラスケースの中の糸巻きにチェーンが巻き取られています)。自分を守ってくれる家を持ち歩けるカタツムリに憧れて作ったもの。タイトルには、これがあれば、裸で外を歩くような無防備で心もとない思いをせずにすむと思えるお守りのようなものがほしいという意味が込められています。

ジュエリー ↔ 医療・美容

スイスに拠点を置くクリストフ・ゼルウェガー(Christoph Zellweger)(1962-)の作品の最大の特徴と魅力は「何かわからなさ」にあります。既存の指輪やネックレスの形式に彼の作品を当てはめようとしたところでうまくいきません。なぜでしょうか。

ゼルウェガーは、もともとハイジュエリーの制作を仕事にしていましたが、後にアーティストに転向します。そして、カラット(宝石の重さを示す単位)=価値の概念を疑問視するようになり、人をジュエリーや装いに向かわせる価値観や身体観を探る過程で、美容や医療に目を向けるようになります。

『異物(Foreign Bodies)』のシリーズ(2003-)では実際の人工装具を使った作品や、人工装具のような雰囲気の作品を作りました。しかし、それらが実際に何かしらの身体機能を補うことはありません。どうやら身につけられるものであるらしいという示唆だけを漂わせ、どっちつかずであることで、人工装具とジュエリー、それぞれに対する見方を揺るがします。

クリストフ・ゼルウェガー、left:『ヒップピース #2401×0』、2002、ヒップピース、素材:使用済みの人工股関節、皮、サイズ:高さ500mm、right:2006年にミレニアムギャラリー(シェフィールド、イギリス)で行われた介入型展示「医療用 316(Medical grade 316)」の様子。写真提供:クリストフ・ゼルウェガー|左のヒップピースは『異物』シリーズの中の一作。首にかけると腰のあたりに人工関節が来ます。ステンレス鋼316は医療器具に使われるステンレス鋼。金属製品の展示室に陳列されている、同素材の医療用品と一緒に自作を並べました。このように、違う文脈に紛れ込む「介入」の手法は、新たな視点から対象を見ることを可能にします。

 

ゼルウェガーの着眼点はやがて人工装具から、整形などの外科的手術へと移り変わっていき、論文や文献を読み漁るだけでなく、実際の手術に立ち会うなどして現場に足を踏み入れ、医療従事者だけでなく患者の生の声も知るようになります。

そうして実際の脂肪吸引の手術に立ち会って作ったのが『余剰(Excess)』のシリーズです。医療現場やラボで見る器具を思わせるこの作品群は衛生的で、冷たそうな印象すら与えます。しかし、医療器具や実験器具のような機能はありません。ゼルウェガーは、手術がもたらす喪失によって人々が抱く思いを、大事にすくい取るようにして形にしています。

そうしてできた作品からは、装いや身体に対する人々の考えも透けて見えます。ゼルウェガーの作品が曖昧さを帯びているのは、人々のあくなき理想や欲求に突き動かされる身体と装いの関係が、技術の進歩や社会の変化にさらされながら、常に揺れ動き続けるものであることの表れでもあるのです。

クリストフ・ゼルウェガー、左:『余剰 R189(Excess R189)』、ペンダント、2012、素材:ガラス、右:『余剰の流出(Excess Flow)』、ペンダント、2012、素材:ガラス(金属蒸着)、写真提供:クリストフ・ゼルウェガー|現代の消費行動を司る「余剰」の概念はしばしば脂肪の形をとるという考えから生まれたシリーズで、紐でつるせばネックレスになります。ゼルウェガーは「カラットからカロリーへ」という隠喩で自身の関心領域と人々の価値観の変化を言い表していますが、吸引後に廃棄される脂肪を美的な身装品にしたこのシリーズは、喪失の扱い方という点で、記憶をつなぎとめるという古来のジュエリーの役割を引き継いでもいます。

世界と私をつなぐ「モノ」

ジュエリーを端緒に発想を広げているもうひとりのアーティストに、ドイツ/日本の大山由華(1974-)がいます。大山はジュエリーの制作を学びましたが、作り手と所有者が隔絶していることに疑問を抱くようになります。そこで始めたのが『ジュエリー・クイッキーズ(Schmuck Quickies)』(2002-2012)のパフォーマンスです。

大山は開催場所となる会場に美容サロンのような一画を作り、訪れる希望者にどんなジュエリーが欲しいか尋ね、あらかじめ集めた不用品を材料に、ハサミやテープで切り貼りするなどして即興のジュエリーを作り写真に収めました。一番上の写真からもわかる通り、ここにはダイレクトな交流だから生まれるジュエリー(モノ)と人との化学反応のような相互作用があります。

大山由華、『ジュエリー・クイッキーズ(Schmuck Quickies)』越後妻有トリエンナーレ、パフォーマンス、2003、撮影:鬼頭志帆、写真提供:大山由華 | パフォーマンスを行っている時の会場風景。舞台の中央付近、黄色のエプロンをつけているのが大山。材料の不用品は現地調達。不用品の傾向や参加者がオーダーするジュエリーの内容に土地柄が出る、と大山は語ります。

この『ジュエリー・クイッキーズ』の時点にしてすでに、ジュエリーと呼ぶにはかなり大きかった大山の作品はその後、文字通りの意味でさらに拡大していき、やがてウェアラブル・スカルプチャー(直訳すれば「着られる彫刻」、つまり被り物や着ぐるみのようになる彫刻)へと発展していきます。

その多くのモチーフは、大山本人やその取材対象となる人の持ち物で、鍵やヘッドホンなど、それ自体に価値はなくとも当人にとって大事なモノです。それを等身大まで拡大し、着られる形にして人と一体化させることで、人とモノとの関係性と、静的なモノの内に潜む不思議な力が、イキイキとした動きを伴うものとして表現されています。

そこから浮かび上がるのはモノと人との相互作用です。私たちはその相互作用を通じ、モノとの心理的紐帯(心のつながり)を結びます。そうしてつながりができたモノは、自分をこの世界につなぎとめる重要な錨になるのです。

大山の作品はもはやジュエリーという切り口からだけでは語れません。が、その作品づくりの根底には、ジュエリーに精通することで得た、身近にあるモノやそれらが持つ意味に対する深い洞察があり、それが作家としての大きな特徴を形づくっているといえるでしょう。

大山由華、『封じ込みスーツ・ピアノ(Encapsulation Suits – Piano)』、彫刻、2015、素材:PEスポンジ、テキスタイル、アルミニウム、サイズ:140 x 120 x 100 cm、撮影:アティラ・ハートヴィック(Attila Hartwig)、写真提供:大山由華 |ピアノを含め、大山にとって特別な持ち物計5点をかたどったスーツが作られた『封じ込みスーツ』は、ダンスや演劇などの要素も絡むきわめて複合的な仕事で、数年にわたり段階を踏んで展開されました。大山は、自分にとって重要な意味を持つこの仕事を、感情を伴う形で記録したいという思いから、ピアノを被った自分の姿をネックレスにしています。

 

ジュエリーを現象として考える

ドイツ出身のスーザン・ピーチ(Susan Pietzsch)(1969)はジュエリーの制作とデザインを習得した後、個人のアーティストとして活動を開始し、1997年以降は Schmuck2 の名のもとで大勢を巻き込んだ活動も展開しています。ドイツ語でジュエリーや装飾品を意味する Schmuck と2乗の2を掛け合わせたその名前には、ジュエリーの可能性を拡大しようという意味が込められています。

Schmuck2 のプロジェクトは毎回、ピーチの他に複数のアーティストや写真家が参加しますが、いつもメンバーが固定されているわけではありません。中にはたびたび参加する人もいますが、基本的には毎回、ピーチ以外は入れ替わります。

どのプロジェクトもテーマの設定から始まり、そこからふさわしい参加者に声をかけ、彼ら彼女らと対話を重ねることでこれまでとは違う角度からジュエリーに光を当てようとします。そしてその対話から導き出された考えや作品、あるいは対話そのものを展覧会や出版物にして広く共有します。

ピーチが選ぶテーマは多岐に渡りますが、その中から Schmuck2 の活動を象徴するようなものを挙げるなら『西暦3000年のジュエリー: 実体を超えて(Jewels of the 3rd Millennium – Immaterial Jewellery)』(2004)でしょう。この時ピーチは、社会の至るところで進む「脱物質化」を切り口にジュエリーという概念を見直したらどのようになりうるのかを、8名のアーティストらとともに検討しました。

ススカ・マッカート(Suska Mackert)、『プリュショー(Plüschow)』、2004、撮影:ヴァレンティナ・サイデル(Valentina Seidel)、写真提供:スーザン・ピーチ|『西暦3000年のジュエリー: 実体を超えて』のワークショップは、ドイツ北部の歴史ある邸宅をアートセンターに改装したプリュショー邸で行われました。参加者のひとりであるアーティストのススカ・マッカートは邸宅近くの廃駅に目をつけ、朽ちるに任せるがままにされていた駅舎のありし日をしのび、駅名の文字を金にペイントすることで「脱物質化」のテーマに応えました。

 

私たちは普通、指輪やネックレスなど、形あるところにジュエリーの意味や性質を見出します。ピーチがやろうとしているのはその逆です。意味や性質からスタートしたり、物質的な形という前提をいったん忘れるなど、まさに純粋な現象としてジュエリーを捉えることで、ありうべきジュエリーの姿をゼロから描き直そうとするのです。

これは単なる思考実験ではありません。ジュエリーを現象まで還元し、他者との対話を通じて他分野や広い社会の中に位置づけることで、今という時代や社会におけるジュエリーの意義や意味、新たな可能性を探ろうとする、知的で遊び心とユーモアにあふれる試みです。

それはプロジェクトの中だけで完結するものではありません。ピーチが投げかけるテーマや問いは、私たち一人ひとりが思いを巡らすことで、まだ見ぬ新たなジュエリーへの第一歩になるのです。

スーザン・ピーチ&ヴァレンティナ・サイデル、『spring/summer 05 ミニスカート(spring/summer 05 Miniskirts)』、2005、サイズ:100 x 150 cm、撮影:ヴァレンティナ・サイデル、写真提供:スーザン・ピーチ|ラッピングをテーマにした Schmuck2 のプロジェクト『WRAPPINGHOOD』の際に制作されたポスター。プロジェクトの展示期間中、駅や街の広告掲示板に貼り出されました。タイトルに含まれる spring/summer はファッション業界のコレクション発表シーズンへの目配せで、ピーチはたびたび、この洒落た借用を行っています。写真中のピーチが手にしているのは車のパーツ。見方を変えれば車もまた「着飾る」ものです。

 

「超える」を支えるもの

ここまで見てきたアーティストたちは、制度や装い、人とモノとの関係性、ジュエリー=現象という切り口、というふうに一人ひとりがそれぞれ固有の視点を軸にジュエリーという枠組みを問い直し、飛び越えています。

越境の試みはもちろん過去にもありましたが、新時代の試みには、制作の過程や前段階から展示にいたるまで全面的に、より相互的な影響の与え合いがあることに注目したいところです。こうした仕事は、人数が少なく時に凝り固まってしまいがちなコンテンポラリージュエリーの内部に新しい視点をもたらすだけでなく、他の領域の懸け橋となる点で重要です。

その際に糧となるのが、ジュエリーに携わる者ならではの視点です。コンテンポラリージュエリーはその歴史の中で、素材や造形を模索してきただけではありません。ジュエリーというものがそもそもどのようなもので、つける人や見る人にどのような作用を及ぼすものかを考え、ひとつの知の体系として積み上げてきました。

それは独自の集合知と呼ぶべきものです。ここで見てきたアーティストたちの仕事は、その集合知が多くの領域で生かされうる価値を備えたものであることを力強く証明しています。

次回は本編の最終回です。主に若手の仕事に着目しながら、2010年代以降の動きに目を向けます。

 


 

【主な参考文献】
Liesbeth den Besten, On Jewellery: A Compendium of International Contemporary Jewellery, Stuttgart: Arnoldosche Art Publishers, 2011
Jivan Astfalck, Caroline Broadhead, and Paul Derrez, New Directions in Jewellery, London: Black Dog Publishing, 2005
Lin Cheung, Beccy Clarke, and Indigo Clarke, New Directions in Jewellery II, London: Black Dog Publishing, 2006
Wilhelm Lindermann & FH Trier / Ider-Oberstein, Thinking Jewellery/Schmuck Denken, Stuttgart: Arnoldosche Art Publishers, 2011
Yuka Oyama, Schmuck Quickies, Middlesbrough: Middlesbrough Institute of Modern Art, 2005
Yuka Oyama, 1:1 1:MANY, Berlin: Goldrausch Künstlerinnenprojekt art IT Frauennetzwerk Berlin e.V., Händelallee 1, 10557, 2009
Yuka Oyama, THE STUBBORN LIFE OF OBJECTS, Oslo National Academy of the Arts and The Norwegian Artistic Research Fellowship Programme, 2017
Christoph Zellweger, Foreign Bodies, Barcelona: ACTAR-D, 2007
Schmuck2 の全出版物

【主な参考ウェブサイト】(最終閲覧日2024年2月8日)
Dinie Besems:https://diniebesems.nl/
Christoph Zellweger:http://www.christophzellweger.com/
Studio Yuka Oyama:https://yukaoyama.com/
SCHMUCK2:https://schmuck2.de/
Susan Pietzsch:http://susanpietzsch.com/

【注】
ディニー・ベイセムス氏の項は作家本人とのメールのやりとりも執筆時の資料として多くを依っています


※この連載は、以前このウェブマガジンに掲載されていた同タイトルの連載を大幅にお色直ししたものであり、その内容は2021年5月1日に開催されたコンテンポラリージュエリーシンポジウム東京のオンラインプログラム「コンテンポラリージュエリーの基礎知識」の講義に基づいています。
※このコラムのテキストおよび画像の無断転載や無断使用は固くお断りします。画像の取得においては、ディニエ・ベセムス氏、クリストフ・ゼルウェガー氏、大山由華氏、スーザン・ピーチ氏のご協力をいただきました。
※より詳しく知りたい人が検索しやすいよう、日本語での情報の少ない固有名詞は原文を併記しています。


 

これまでの「【連載】コンテンポラリージュエリーことはじめ」も、ぜひお楽しみください。

【連載】コンテンポラリージュエリーことはじめ Vol.1 – コンテンポラリージュエリーって何?


Makiko Akiyama
Makiko Akiyama
秋山真樹子 Makiko Akiyama

専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ コンテンポラリージュエリーコース卒。卒業後、同校での教職を経て翻訳・執筆業に転向。Art Jewelry Forumアンバサダープログラム日本代表。共著に『Spring/Summer 16_green gold』(Schmuck2編、2017)『Jiro Kamata: VOICES』(Arnoldsche Art Publishers、2019)がある。

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