
繊細でモダンなパールジュエリーで知られる《MIZUKI(ミズキ)》デザイナー・ミズキ・ゴルツさんへのインタビュー前編ではブランド誕生のきっかけや、パールへの想い、創作の過程について伺いました。
後編ではミズキさんのパーソナルな部分に迫り、暮らしや感性、二つの文化で育った背景と創作への影響、そしてブランドのこれからの展望について深く掘り下げていきます。
東洋と西洋、ニューヨークとカリフォルニア、内在する二つの文化
日本で生まれ、アメリカで育ったミズキさん。さらにそのアメリカの中でも、活気あふれる都会・ニューヨークと、ゆったりとした時間が流れるカリフォルニアという、対照的な二つの場所で生活してきました。
その内に秘めた“二つの文化”が、繊細でありながらも独特な《MIZUKI》の世界観を形作っているのかもしれません。
JEWELRY JOURNAL(以下、JJ):
日本とアメリカという、まったく異なる文化や生活を経験されたミズキさんならではの感性は、現在の《MIZUKI》を支える大きな柱になっているのでしょうか?
ミズキ・ゴルツ(以下、ミズキ):
私の人生には、二つの大きな支えがあります。
それは、西洋の環境に溶け込みながら育んできた、私の日本人としての“美学”と“伝統”です。
日本で過ごした幼少期には、自然と東洋独特の美意識が根付いていました。そして10歳でアメリカに渡り、多様な経験に満たされた思春期を迎えました。異なる自然環境で育つことができたのは、本当に幸運なことだと思います。
“木を見て森を見ず”という言葉がありますが、東洋的な美意識だけに囚われると、細部へのこだわりが過ぎることもあります。
しかし私の中に息づく西洋的な感覚は、その細部を深く見つめることによって、逆に大きな全体像や新しい可能性を見出すことを教えてくれました。この二つの視点が絶妙なバランスを保ち、時にぶつかり合い、また時にろ過され、そして融合することこそが、私の創造の源泉なのです。
JJ:
同じアメリカ国内でも、ニューヨークとカリフォルニアという、まったく異なる土地での生活はどのようなものでしたか?
ミズキ:
ニューヨークは力強く、途方もないエネルギーに満ちあふれ、絶えず変化し続ける街です。私はそのニューヨークで20年間、《MIZUKI》というブランドを育んできました。
その後、南カリフォルニアへと移り住み、海辺の暮らしの中で東海岸と西海岸を行き来するライフスタイルを楽しみました。


カリフォルニアの豊かな自然のなかで感覚を解き放ち、ゆったりと穏やかに流れる時間を過ごすことは、心の大きな癒しとなりました。夕日が沈むころ、ビーチを散歩するのが日課。変わりゆく空の色を眺めながら、足元の砂の感触に意識を集中し、水平線の彼方へ思いを馳せる時間は、一日の終わりをやさしく包み込んでくれます。

今はニューヨークに戻っていますが、今でも公園を見下ろす場所から日の出や日の入りを眺める時間は、私にとって欠かせない大切なひとときです。ガラスの高層ビルが立ち並ぶ“ジャングル”の中にいても、不思議と心が落ち着く瞬間です。
そして時折、夫アランの故郷である北カリフォルニアのブドウ園を訪れ、自然の中で新しいアイデアを練る時間を過ごします。今の私にとって、それは欠かせないリセットの時間なのです。
日常に取り入れる“アート”と“自然”
ミズキさんは、デザインのインスピレーションが、自身の体験の中にある“エッセンス”から湧き上がると語ってくださいました。では、その感性を磨く日常の中で、どんな体験が彼女に刺激を与えているのか。趣味や暮らしの一端について伺いました。
JJ:
暮らしの中で、感性を磨くために特に大切にしている時間や習慣はありますか?
ミズキ:
アートやファッション、写真、建築、花、映画……あらゆるものから刺激を受けています。
なかでも、アートは幼い頃から私の一部として常にそばにあり、私を育んできました。両親の影響も大きく、姉と一緒に、小さい頃から音楽やアートに囲まれて育ちました。母はよくメトロポリタン美術館や近代美術館へ連れて行ってくれましたし、父も絵を描くのが好きでした。
今もなお、多くのアーティストの作品やその生き様に心を動かされています。安藤忠雄、マーク・ロスコ、イサム・ノグチ、ルイーズ・ブルジョワ、そしてリック・オウエンス。前衛的で挑戦的な美学を持つ彼らは、私にとって欠かせない存在です。
また、ニューヨークの季節ごとの色合いを自分の空間に取り入れることも、暮らしの大切な一部です。月に数回は花屋街へ出かけ、季節の枝ものや花を探し、持ち帰って部屋を彩ります。

枝ものはまるで彫刻のような美しさを感じさせてくれますし、有機的なフォルムのガラスの花瓶や、日本から取り寄せた土のぬくもりが感じられる陶器に挿して、その佇まいを楽しんでいます。

年齢を重ねてわかった“美しさ”と”新たなステップ”
さまざまな土地での経験を積み重ね、ブランド設立から30年の歴史を歩んできたミズキさん。その長い時間の中で、価値観やジュエリーへの向き合い方にはどのような変化があったのでしょうか。
JJ:
女性として年齢を重ねる中で、ジュエリーへの考え方に変化はありましたか?
ミズキ:
90年代後半、ブランドを始めたばかりの頃、私が目指していたのは“ミニマルなラグジュアリー”でした。見せ方や売り方をあまり意識せず、ただ自分が作りたいものを追求していた時代です。その時、私が作りたかったのは“ミニマルに宿る温度感”という、言葉にしがたいけれど確かな感覚でした。
当時は、ダイヤモンドジュエリーを日常的に身につける女性はまだ少数派でした。でも今では、女性たちに無数の選択肢があり、ダイヤモンドを毎日纏うことも、パールを特別な日だけでなく自由に楽しむこともできる。もうルールはなくなったのです。
あの頃、心のままに生み出したジュエリーを、年齢を重ねた今も変わらず日々楽しんで身につけられることに、私は深い面白みを感じています。
私にとって、さりげなく美しく輝くこと、そして年齢を重ねた自分自身を愛し、自分らしく在ることこそが、真の“美しさ”なのだと感じています。
JJ:
これからのブランド《MIZUKI》としてのビジョンを教えてください。
ミズキ:
パールは時代を超えて輝き続ける普遍的な美しさを持っていて、その魅力は今なお私を驚かせ、インスピレーションを与え続けてくれます。同時に最近では“緑”の魅力にも惹かれ、エメラルドのコレクションにも挑戦し始めました。

また、ブランドの象徴的なコレクション“Sea of Beauty”から発表した最新作“Mirage”シリーズは、海面に反射する光や水平線に煌めく星々の息吹をイメージして生まれました。
最新作の《XVIII COLLECTION》は、厳選した南洋パールやタヒチパール、エメラルド、ダイヤモンドを18金と組み合わせ、艶消しと光沢のコントラストが織りなすモダンでタイムレスなジュエリーです。


ブランドとして30周年の節目を迎えるにあたり、支えてくださる多くのパートナーや長年築いてきた関係に深く感謝しています。
私がこれからも作り続けたいのは、“今日、昨日、そして明日のために”美しく、魅力的なジュエリーです。この想いを胸に、一つひとつの作品に心を込めて向き合い続けたいと思っています。
自然のうつろいに心を澄ませ、アートの静けさに耳をすます。 ミズキさんのジュエリーは、そんな日常のかけらたちをそっとすくい上げ、美しさの形にしてきました。
東洋と西洋、都市と自然、自身の内と外── さまざまな境界をゆるやかに越えながら、30年という歳月を経てもなお、彼女の創作は揺らぐことなく、しなやかに進化し続けています。
それは、ただ装うためのものではなく、自分自身を受け入れ、慈しむためのジュエリー。 そっと寄り添い、力をくれるその存在は、これからも多くの人の人生に、静かな光を灯していくことでしょう。
interviewed on 2025.9