エモーショナルなジュエリー Vol.2 「ウォレス・チャン」

世界に名を轟かす宝飾界の鬼才、ウォレス・チャン

35.4ctのアクアマリンの中に浮かび上がる女性の顔。この女性はギリシャ神話に登場する女神ホーラで、季節と秩序を司る。移り変わる季節を象徴するかのようにホーラの顔が様々な方向を向いているが、アクアマリンの裏側を見てみると、実際に彫られている顔の数は一つだけだ。石の中にホログラムが浮かんでいるような効果を持つこの技法はウォレス・カットと呼ばれており、現代宝飾界の鬼才、ウォレス・チャンによって1987年に確立された。

2016年6月、ロンドンのV&A美術館のイベントで、ウォレスが登壇する事になった。「Dream, Light, Water」という著書の発売と、初となるロンドンでの展示会を記念したイベントだった。V&A美術館では日常的に著名人を招いたトークイベントが開催されているが、ウォレスのイベントには立ち見客が溢れかえり、他に類を見ない盛況ぶりだった。司会者からの質問に答える形でトークが進んだが、話を聞けば聞くほどウォレスの烈しい美意識と精神力に圧倒された事を記憶している。

飽くなき美の追求と超絶技巧

前述のウォレス・カットについてもトークは及んだが、この技法を完成させるまでにウォレスは13年もの歳月を費やしている。新しいカッティング技術を模索していたウォレスは石を背面から彫る事を思い付いたが、既存の器具では思い描く形を表現出来ない事に気付いた。そこでウォレスは器具工場で見習いとして6ヶ月働き、器具の仕組みや製造方法を一から学んだ。

最終的には歯科ドリルを改造して独自の器具を完成させたが、次にぶつかったのはドリルが発する高熱により、石が割れてしまうという問題だった。試行錯誤の末に辿り着いた解決策は、水中でカットを施す事だった。しかし水中では細部がよく見えないため、一彫りする毎に取り出して乾かし、確認してから再び水中でカットを施すという、気が遠くなるような作業が行われている。ウォレス・カットを施すためには一つの作品に数千時間以上を費やすそうだ。常軌を逸するような精神力だが、作業に集中している時、ウォレスは瞑想的な忘我の境地に達しているようで、「自分と石の境界線が無くなり、自分が石に、石が自分になる」と表現していた。

ウォレスの発言は終始このような詞的比喩が印象的で、ドーナツ状にカットされた石の話をしていた時には「中央の穴から私の魂が入り、反対側から抜けていく」と表現していた。作品にも反映されている独特の精神世界は、宗教的彫像の彫刻家として修行を積んだ過去の経験によって形成されたものなのかもしれない。長い髭を蓄えたウォレスの風貌も、どこか異世界から来た仙人のようである。今回はそんなウォレスの作品を幾つか紹介したい。

 

独特のヴィジュアルと精神世界が織り成すウォレス・ワールド

left : Intertwining Love(イヤリング) / right : Birth and Blossom(イヤリング)

チタンを用いたハイジュエリーは近年少しずつ市場に増えてきたが、チタンは加工が難しく、高度な加工技術が求められる。ウォレスはチタン加工のマスターとして知られており、金やプラチナでは表現できないチタンの色彩美を存分に活用してきた。ピンクとブルーのチタンが映える「Intertwining Love」では、本体部分にローズウッド(紫檀)が使用されており、一般的ではない素材も柔軟に取り入れてきたウォレスらしい作品になっている。

「Birth and Blossom」では、ネオン・グリーン色のチタンが真珠やピンクサファイアと鮮烈なコントラストを織り成す。近未来的な質感を放ちながらも、有機的でダイナミックなフォルムが生命力を感じさせる。

left : Stilled Life(ブローチ) / right : Fish’s Whispers(バングル)

古代中国には、死者の口に玉や翡翠で作られた蝉を含ませて葬る「含蝉」という風習があった。蝉は再生と復活のシンボルであり、玉や翡翠は経年劣化しないことから、病気や身体の腐敗を防ぐと信じられていた。そのため含蝉には、死者の体が美しい状態で保たれるようにという願いや、魂の蘇りを願う気持ちが込められていた。中国人にとって馴染みが深い蝉モチーフと翡翠を用いたのが、上記画像左側のブローチ「Stilled Life」だ。ウォレスの作品群の中でも著名な作品であり、翡翠の石が持つ線脈を浮かび上がらせるカット方法は特許を取得している。

ジュエリー制作において多色使いを好むウォレスの嗜好が見て取れるのが「Fish’s Whispers」だ。それぞれの色石は異なる年齢と感情を表し、色を重ねる事によってジュエリーに魂を宿らせるというのがウォレスの持論だ。この作品では、恋に落ちた二匹の魚がクリスタルに彫られており、二匹の愛が奏でるメロディとハーモニーが色石の装飾によって表現されている。

left : Apsara(ブローチ) / right : The Rise of Heart(オブジェ)

左側のブローチ「Apsara」は、ヒンドゥー教に起源を持つ水の精アプサラスの姿を模しており、アプサラスは中国でも飛天女神として信仰の対象になっている。余す事なく表現されているアプサラスの妖艶な姿には水のモチーフが刻み込まれており、彼女の足元に渦巻く波は星の配置を意識している。占星学や宗教からのスピリチュアルな要素が散りばめられた作品となっており、ウォレスが関心を寄せる世界が垣間見える。

ウォレスは元々が彫刻家なこともあり、宝石を用いたオブジェ作品も製作している。「The Rise of Heart」は2.2メートルもある巨大なオブジェで、チタンで作られたシャクヤクの花には、925個のルビーと470個のシトリンと500個のアメシストがあしらわれている。シャクヤクの周りには美と愛の象徴である蝶が舞い踊り、陽気な春の訪れを祝っている。

現在まだ62歳のウォレスは、今後も傑作を世に送り出し続けて、偉大な芸術家として後世に名を残す事だろう。オーダーメイド作品が多いため完成後はすぐに納品されてしまい、一般人が鑑賞できる機会は限られるのが難点だが、願わくば日本でも展示会を開催してほしい。


 

画像/資料提供

WALLACE CHAN | http://wallace-chan.com




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