エモーショナルなジュエリー Vol.3 「イルギーズ・ファズルジアノフ」

Artishok Ring


 

限りなく薄い七宝が育んだ、唯一無二のジュエラー

伝統工芸品のフィニフティや、高級宝飾ブランドのファベルジェの作品からも見て取れるように、ロシアには古くから優れた七宝技術が存在しており、七宝で表現される繊細な世界は、ロシアならではの美的感覚に深く根付いていると思われる。現代では七宝を用いたハイジュエリーをあまり見かけないが、独学で会得した七宝技術を用いて芸術的なジュエリーを生み出し、その美しさで世界を感嘆させたのが、今回紹介するイルギーズ・ファズルジアノフだ。

イルギーズがカザンの美大で専攻していたのはインテリアデザインだったが、授業の一環で学生達は短期間、ジュエリー工房での見習い修行を経験した。しかし意外にもイルギーズはこの修行にだいぶ苦戦したようで、何の技術も得られないままに終わってしまった。

卒業後、イルギーズは布の染色やステンドグラスの製作を生業とするために工房を立ち上げたが、彼がジュエリー制作の技術も会得していると勘違いしていた友人から、ジュエリー関連の仕事依頼が入った。出来ない事を認めたくなかったイルギーズは、試行錯誤を重ねて技術を習得していったのと同時に、ジュエリーの世界に魅了されていった。そして1992年にはジュエリー専門の工房を開くに至った。

伝統的な制作技術を学んでいなかったがゆえに斬新な手法を編み出した宝飾デザイナーの逸話を時々耳にするが、イルギーズの七宝技術もそれに当たる。通常であれば700〜800度で加熱するよう教育される七宝だが、イルギーズが過熱する温度は970度だ。これによって表面のコーティングが地金部分と溶け合った状態になり、限りなく薄い七宝を用いた繊細な表現が可能になった。

技術が高まるにつれてイルギーズの独創的なジュエリーは高い注目を集めるようになり、2011年にHong Kong International Jewellery Showで開催されたInternational Jewellery Design Excellence Awardでは、栄誉あるグランプリに輝いた。イルギーズは2013年にも再度グランプリに選ばれており、二度の同賞獲得経験がある世界唯一のジュエラーとなった。

left : Monet Irises Ring, right : Autumn Forest Ring

冒頭の画像「Artishok Ring」もそうだが、イルギーズと言えばオブジェのような大振りの指輪がアイコニックな作品として特に知られており、異なるデザインで多数制作している。中でも多いのが上記二作品のようなドーム型の指輪で、一度目にすれば、特徴的なフォルムと精巧な七宝細工が、他のアーティスト作品とは混同し得ない作風として記憶に焼き付く。

left : Magpies Necklace, right : Butterflies. Solar Eclipse Earrings & Ring


 

多様な様式を自在に融合させる、異色の発想力

イルギーズにとって自然界は潤沢な着想源であり、植物や動物のモチーフが繰り返し登場する。このためアール・ヌーヴォー期のジュエラー達と比較される事が多く、イルギーズ本人も、意匠構成要素の一つにアール・ヌーヴォー様式を挙げている。

「Magpies」のように、自然の情景を切り取ってそのままジュエリーにしたかのような写実的表現のものから、「Butterflies」シリーズの様により現代風にデフォルメされたものまで、表現方法は幅広い。

ちなみにButterfliesシリーズは英国の高級宝飾ブランド、Annoushkaとのコラボレーション作品だが、イルギーズはスイスの高級時計ブランド、Bovet等ともコラボレーションしている。宝飾業界において、自身のビジネスで成功を収めている著名ジュエラーが、ゲストデザイナーとして同業他社に迎え入れられるのは、比較的珍しい事のように思う。この辺りにも、イルギーズというアーティストの特異性を感じさせられる。

left : Matryoshka Ring, right :Poppies Pendant

イルギーズの意匠構成要素の一つがアール・ヌーヴォーである事は先述の通りだが、その他にもイルギーズは、ヴォルガ・タタール人(ロシア連邦内の国、タタールスタン共和国を形成する民族)としての自らのルーツと、アール・デコ様式の二要素を織り交ぜてデザインしている。

有機的で左右非対称、曲線的なアール・ヌーヴォーと、人工的で左右対称、直線的なアール・デコは、本来真逆の特徴を持つ。しかし「Poppies Pendant」のように両者をバランス良く融合させた作品が多数あり、イルギーズの作風を一層ユニークなものにしている。自らのルーツを大切にするイルギーズの趣向は「Matryoshka Ring」等の作品から見て取れるが、アール・ヌーヴォーとアール・デコを難なく組み合わせてしまう柔軟な発想自体にも、多民族・多宗教で知られるタタールスタン共和国独自の精神性が反映されているのではないだろうか。異色のジュエラーであるイルギーズの創作活動から、今後も目が離せない。


画像/資料提供

IIlgiz F | http://ilgiz.com



Mika Murai
Mika Murai
村井 美香 Mika Murai
1986年生まれ。大阪府出身。15歳の時に単身渡英。ケント州の高校をオールAの成績で修了した後、ロンドンの名門美術大学Central Saint Martins College of Art and Designに進学。その後、Kingston大学大学院に進み、首席で卒業。英国王室御用達のジュエリーブランドなど、様々な有名ブランドでデザイナーとして経験を積む。帰国後は国内の某ラグジュアリージュエリーブランドで勤めた後に独立。ジュエリーデザイナー 、コラムニストとして活動中。

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